見出し画像

嫌いな女、全ては許される。

その女は、
初対面で私のパーソナルスペースを犯し、
私の顔をのぞきこみ、こう言った。

「一重なんだね。」

反射的に手が出そうになった。
女性を殴ろうと思ったのは初めてかもしれない。

もちろん理性が働き、わずかに身体が震えただけだったが
とにかく不快だった。

親の教えのせいか、私は相手の容姿について口にすることは控えている。
ネガティブな指摘はタブーに近い。

2回目の対面では

「おもしろい耳の形してるね。」

などと言ってきた。
もちろんこの女を嫌いになった。

その女なりの防衛的先制攻撃だったのかな、
と、かなり時間がたってから思った。
自分が攻撃される前に攻撃したのだろう。

そう、その女は醜い。
あくまで私の判断基準で。

私の好みの女性から同じ事をされたら
同じように不快に思ったのだろうか。
想像しても答えがでない。

今までに
1周回って興味が沸くほどに嫌いになった人が何人かいる。
その人に関わっている人も嫌いになるほどに、だ。

その人たちにも家族がいて、友人がいて…
その中では役割があるように見える。
存在が許されているのだ。

私は自分に役割があると感じたことはない。
誰かに必要とされているとも思えない。
存在は…許されているかもしれない。

私も誰かにとっては醜く嫌いな人なのだろうか。

最近、強く思う。
この世にモラルなんてない。

全ては許されるのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?