灰に秘する想い
#0
どこで間違えたのだろう。
私は炎の中薄れゆく意識の片隅で考えていた。
多分18年以上前、私は彼に振られて失意の中にいた。
それでも生きていられるのは研究があるからだ。
研究は化学物質で満たされた水に人の記憶を保存できる様にすることだ。
水でも短期の記憶が保存できる。
しかし、この媒体になる化学物質は単体では人体に有害ではあるものの、人1人の記憶を保存できるはずなのだ。
その研究に没頭する事で忘れようとしていた。
#1
彼とは幼馴染だった。
母が教えるピアノの教え子だ。
小さい頃からよく遊び、シャイだった彼は花を摘んで渡してくれていた。
小学校低学年までは一緒にあそんだり、家でご飯を食べたりして色々な事を話した。
中学に上がりクラスが隣同士になった時。
彼は昔と変わり活発になり。逆に私は臆病に。
挨拶はするものの彼は新しい友達との交流に躍起になり。私のことは忘れていっている様に思えてならなかった。
#2
高校への進路の時、同じ高校に入りたくて友達から彼の進路を聞き出し受験した。
入試の時、彼が筆箱の中を覗いてソワソワしている。
筆記用具を忘れたみたいだ。
彼にそっと予備のシャーペンを手渡す。
彼は小声で「ありがとう」と言って受け取った。心臓がドキドキしていた。
試験の中身が思い出せないくらいに。
入試が終わり校門を出ると彼が待っていた。
また胸が高鳴る。
「シャーペンありがとう。」
シャーペンと小さな花が手から渡された。
解放されたからか嬉しかったからかよく覚えていない。
「一緒に合格したら付き合って。」
と言っていた。
「合格しなくても付き合って下さい。」
そう返事が返って来た。
#3
それからの2人は順調だったと思う。
2人でカフェに行った時なんかコーヒーの原産地は当てられるのにエスプレッソの用語が分かってないところも可愛かった。
休みの日は私の大好物の甘めのアップルパイを一緒に作って食べたりもした。
そして映画館で映画を観てああでもないこうでもないとプチ討論会をするのも好きだった。
進学する大学が違っても近い大学ということもあり。週に1、2度は会い高校時代と変わらず過ごした。
しかし、就職にあたり彼と意見が分かれる様になっていた。
私は研究のできる会社に就職が決まっていた。
しかし彼は就職先に考えあぐねているところだった。
最初は就職先が決まった私への当てつけかと思って普通に過ごしていた。
彼が就職してから様子がおかしいことに薄々気がついていた。
彼は研究とは近いが研究職ではなく営業マンとして働いている様だった。
休日も会う機会が減り、会う時も彼の部屋の奥には立ち入らせてもらえないのだ。
ある時研究施設(表向きは工場)の近くの川で彼を見た。人目を気にしている様だった。
物陰に隠れて見ていると、彼は川から水を汲み上げてペットボトルに入れ持ち帰っていった。
後から尋ねると。
「見られてたか。本当は水質業者に勤めてるんだ。」
それで全て納得いった。
私の就職後反対した事。
彼の仕事がなかなか決められなかった事。
奥の部屋に案内されたが、私の研究工場が汚水処理を怠っている調査の資料が集められていた。
彼は言った。「今の仕事辞めた方がいいよ。」
私は研究施設の大体のことを知っていた。
その話は出来ないし、しようとは思えない。
なぜなら人の記憶の保全、移動が叶うかもしれないからだ。
ある意味永遠の命も夢ではない。
なぜならもう一歩だったのだ。
液体に記憶の保管。
同じ溶液を離しても同じ刺激反応を個別で示し、液体が最小単位で記憶を個別に保持しているからだ。
私は心が引き裂かれる思いがしたが、私は研究を取った。
心の動揺を毅然とした精神で押し殺し、握手をして別れた。
しかし、日に日に彼との思い出がのしかかる。
研究も進まない。
研究部門もだんだん小さくなり無くなることが決定したその日だった。
片付けをしていると、記憶の移し替え実験をしていたラットに保管された記憶の持ち主の癖が現れたのだ。
#4
私は考え方を変えることにした。
そして親に手紙を残す。
1枚目は出ていく手紙。
2枚目は…
ある池の水ペットボトル1杯を浄水場上流に捨ててそしたら帰って来れるから。そしてこの紙は燃やして。
母への手紙だった。
帰るつもりは今のところ無かった。
化学物質を媒介として、浄水場でも濾過できない成分、水に記憶を移し誰かの体に入りまた彼と一緒にいること。それが望みだった。
そのためには粗っぽい方法だが記憶を液体に抽出して定着させる必要があった。
電気信号では複製になってしまい嫌だ。
他の方法だとそれには大量の水がいる。
幸い工場の近くに池があり広さと深さから、その水量には充分だ。
私は実験の最終段階として私を水に溶かして、誰かにその水を飲んでもらう様に準備したのだ。
#5
実験は成功した。最初は朦朧としていたが、彼の家で彼を迎えることが出来たのだ。
彼は泣いていた。
私に会えた喜びかと思った。
それは誤算だった。
小さい身体に宿った私は、彼の保護の元育ち、将来的に彼の元から離れる事になる娘だったのだ。
それでも悔いは無かったはずだった。
すぐに彼に出会い、一緒に生活できる。
ただ彼の横にいないだけ。
#6
初めて人を手にかけたのは中学の時。
育てられた恩はあるものの、彼の隣にいるアイツが邪魔でブレーキに細工した。
アイツの葬式では気丈に振る舞う演技をしたが、心には安らぎが訪れていた。
ここからは2人で過ごせる。
数年後のある日、喫茶店で彼を見かけると栗毛色の髪の女と居る。
その日から週一で遅く帰ってくる様になった。
また邪魔者が現れた。
私はその女の印象を悪くしようと思い。
同じ格好をして見知らぬ男を誘い、拉致した。
女と心中させるためだ。
女は偶然を装い何日か前に話をしていた。
その日も父のことで相談があると呼び出し、睡眠薬を飲ませて男と車に乗せた。
後は川に入り心中に見せかける。
しかしこれでも彼は女のことを忘れられない様だ。彼は私の気持ちに"気付かない。"
#7
もう最終手段しか無かった。
彼を眠らせ首から下に麻酔をかけた。
倉庫にはガソリンを撒き。彼を追い詰めるつもりだった。
私だけの彼になって欲しかった。
叶わないならいっそのこと…
でも最後に肌で彼の背中の温もりを感じたかった。
炎の中、彼の温もりだけが小さくなっていった。
#8
子どもの泣き声がする。
左を見ると男の子が泣いている。
彼を感じる。
嬉しくて顔が綻ぶ。
これからも一緒にいられるんだね。