点描#1

朝起きると無機質な天井、夢から覚めたとき現実の辛さが襲ってくる。
私がいる部屋は6人部屋であり、各々が何かしらの罪を持ち罰という名の贖罪を行っている。

悲しさは枯れ果てた。思い出すのは娘の愛らしい姿と、変わり果てた姿。

虐待死という名の汚名を払拭する事にも意味を持てなくなっている。




私は裕福とは言えない家庭に生まれ、母1人に育てられた。
義務教育も何一つ不自由なく受けさせてもらい。
苦労をかけながら第一志望の大学まで進んだ。
卒業してから就職して、親の苦労に報いるつもりであった。
しかし、大学で1人の当時愛した女性と子どもが出来結婚。
式は挙げられなかったが、大学を中退してすぐに働き始めた。

昼は清掃業社で働き、夜はバーで働いて2人に何不自由なく暮らしてもらおうと必死だった。
大学の同期は残念だったなという様な事を言う奴もいたが、冷静に今が幸せだと感じれると返した。
あるいは自分に言い聞かせていたのかも知れない。

子どもを幼稚園に預けられるようになると、

妻もパートで働き始め、3人の時間はすれ違う様になっていった。

それから2年後妻とは離婚した。
理由は妻の不倫である。
仕事の空き時間妻の職場に行ってみると、出勤していないという。

体調が悪いのかと心配になり家に帰ると男と関係を持っていたのだ。
しかも相手は娘の幼稚園の先生であった。
後から知るのだが、妻がパートで働いているはずの日数の半分くらいは会っていたそうだ。

冷静に対処しようとしていたのだが、子どもの話になり親権は要らないと先に言われた。

娘への愛はないのか?

と内心怒りに満ちたのだが、次の言葉で諦めがついた。

男といたい。

しょうもないと私は思い一気に怒りが冷めた。

離婚や親権の話が粛々と決まると妻は

あなたには愛を感じない。合鍵と捨て台詞を残して出ていった。

それから娘と2人で暮らしていた。
子育ての辛さは身に沁みて分かっているつもりだった。
しかしどうしようも言う事を聞かない時は大声で話すこととしばしばあった。
壁に物を投げた事もある。
それで泣き止む事もあった。しかし、子どもに手を上げたことは一度もない。

だが、それではいけないと思い。
休みの日は2人の時間を作る様になった。
一緒に料理を作ったり、家事やおままごとを交えて過ごした。

ルーティンとしては幼稚園に預けて昼の仕事をして、夕方迎えに行ってから夕食を食べさせて寝かしつけ仕事に行く生活だ。

しかしある日、体調がすぐれず夜の仕事を休み家に帰ると。

寝かしつけたはずの娘が台所で倒れていた。
抱き抱えると息をしていない。体温も段々と下がっている。

急いで救急車を呼んだが、その日に娘は息を引き取った。


病院で途方に暮れていると、スーツ姿の2人組に声をかけられた。

警察だった。

娘さんの首にゴム手袋での締め跡と、身体に不審な傷や火傷がある。

つきましては署で話を聞き、自宅も捜査させてもらえないでしょうか。と出しぬけに言ってきた。

娘の死に不審な点があると言うことが引っかかった私は是非にと協力した。

しかし、これは協力と言うものではなく取り調べだった。

部屋に他人の指紋が無いこと。
たまに大声と大きな物音が部屋から聞こえると言う近隣住民の証言。
娘のアイロン火傷や包丁傷なとから。

加害者とされ、起訴、服役となっていった。

最初こそ微かに自分を憐れむことはあったが、
娘の姿、そして自分が手をかけた夢を見るなど自分がやったのでは無いかと錯覚まで始まる。

もう今となっては弁護士の話や恩赦の件など耳に入らないなっている。

先の事は何も考えられなくなっていた。

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