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物書きは偏人が多いのか

自分の描くもの、特に文章は他人に見せるのは気恥ずかしいものである。
それはある種、自身の心の中を他人に開け広げることと似ていて、羞恥心に近いものを感じる。

電車に乗っていると、A4大のノートに一心不乱に何か書く学生がいた。
手の動きを見て文字の類だと分かる。

何かの勉強なのだろうか?

しかし、参考書の類は見当たらない。
ところどころ赤を入れている。

頭の中のものを書き写しているなら、恐ろしく早く長く、凄いものである。

こちらの視線に気付いたのかふとコチラに目をやる。目線は外したのだが、次の瞬間にはノートの白面が少しも見えなくなっていた。

そこで、先程の様な事に気付いたのである。
それとともに、学生の(なお言うと女学生の)頭の中を覗き見た様な罪悪感に少し苛まれた。

程なくすると彼女はノートをしまい出した。
すると、停車駅から他の女学生がノートの子に手を振っている。
ノートの子はさっき迄の真剣な表情とはうってかわって、笑顔になり手を振った。

友達であろう女学生にも見せぬノート、その一端を覗き見た罪悪感は…
他に見せない一面をみたという、恋心にも似た嬉しさに一部が変わった感じがした。

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