本と三線と石垣島 ✴︎〜11人の小学校体験記〜 『明和大津波編』
石垣島の図書館にくと、玄関入ってすぐの場所に、明和大津波の特集が組まれていた。
宿にある新聞にも、津波の記事が。
何冊か置いてある宿の本棚にもあった、大津波の本に書いてあった、
1771年に、八重山と宮古を襲った大津波。
旧暦3月にあったと記載があるから、今頃の4月末のこの時期、このワードがたくさん目に飛び込んできた。
1万6000人もの犠牲者がでた、この大津波。
85メートルもの波が上がって、家も人も根こそぎ流されて行ったという。
沖縄の昔話がたくさん綴られているこの本も、
宿にあってみてみると、
八重山の昔話のところに、
“ナンを告げた人魚”
という話があった。
ナンとか、津波のこと。
村人達が、浜に三線を弾きにいくと、どこからか綺麗な歌声が聞こえてきた。
声の方へいくと、網に人魚がかかっていて、食べようか、となったけれど、歌声があまりにも素晴らしかったから、食べずに逃した村人。
ふくらさみーふぁいゆ。
八重山方言で、
本当にありがとうございます。
そして、海の秘密を教えてくれたのです。
“明日の朝、石垣島に大きなナンが襲ってきます。早く山へ逃げてください。”
その言葉を信じ、村人は山へ逃げた。
人魚のいうとおり、次の日の朝、風が吹き始め、大きい波が上がったかと思ったら、
ヤー(家)、ター(田)、ズー(土地)全部流されてしまった。人魚を信じた村人達は、命が助かったと。。
人魚はジュゴンだと言われている。
津波の昔話は、図書館の児童コーナーにもたくさん並べられてあった。
八重山にも大津波があったことを知った。
台風に津波、自然災害も多い沖縄は、特に島の人々は、その時々で生き延びる為に対処してきた。
力強さや嫋やかさ、自然と暮らすことの厳しさもしる八重山の人々は、こうやって、色んな困難を目の前にしても、命を繋いで今がある。
86歳のかじおばぁの話を聞きながらも、生きる強さを感じることばかり。。
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