『走る図書館が生まれた日』 〜ミスティットコムとアメリカで最初の移動図書館車〜 シャーリー・グレン作 渋谷弘子訳 評論社
“”走る図書館“”を考えついた、アメリカの司書、メアリー・レミスト・ティットコム。
まだ当時は、女性の仕事は看護師か教師ほどしかなかった時代、
“たくさんの本を、広いアメリカの人に読んでもらいたい。図書館に来られない人たちにも、読書の喜びを知ってもらいたい。”
その気持ちを胸に、生涯をかけてアメリカを奔走した、ミステットコムの生き様は、生半可なものではなかったと感じます。
ミスティットコム(1925年)
貧しい家に生まれたミスティットコムは、本が好きで、勉学にも励み、司書になります。
1901年に、貸し出しができる図書館が開館すると、町の人が大勢の来ました。
ただ、住民の半分以上の市街地から離れた人たちは、借りることもできず、本に対しての興味もない人が多く、ミスティットコムは、農村地に出向いて本の読み聞かせや貸し出しをして、読書をする喜びを広めていくのです。
(1905年 アメリカで最初の本の荷車)
初めは少ない人だかりが、だんだん多くなり、本を読む喜びを、村の人達もわかるようになっていき、それに従い、荷車も大きくなり、貸し出す本も多くなっていきました。
アメリカには移動図書館車はなくてはならないものになっていきました。
ミスティットコムの功績は、今でも繋がっている、多くの人が本に触れることができる道を、彼女が作ったことは、誰にでもできることではないです。 本を届けたい。その一心で動いていたことが、形になったという、信念は強く持てば現実になるということを教えてくれます。
日本中どこでも、このような問題はでてくることです。目を向けるか、向けないか。
私の住む地域にも以前は巡っていた移動図書館は、公共の図書館ができて、廃止になったそうです。しかし、車に乗れない人、お年寄り、子供たちは、どうしたら本が借りれるのでしょうか。
本離れが進む昨今、本への関心を持ってもらうためにも、図書館から出向いて、人に知ってもらう動きが必要だと感じます。待っていても、始まらない。
移動図書館の復活は、熱く希望します。
そのために、私も本の楽しさを知っていくことを辞めずに、出来ることをしていきたいと思います。
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