『菜の花日記』 坂本菜の花 ヘウレーカ
今日は、絵本でも児童書でもない、“日記”。
菜の花さんが、沖縄のフリースクールに通った3年間に、沖縄と向き合い、沖縄の人と話、学びながら考えを綴った日記が、本になり、映画化されました。
映画の題名は、
“ちむぐりさ”
沖縄のウチナーグチには、《悲しい》という言葉はない。それに近い言葉は、《肝ぐりさ》。 肝をチム、と発音して、ちむぐりさ。
誰かの心の痛みを、自分の悲しみとして一緒に胸を痛める事。それが、沖縄人ウチナーンチュの心。 菜の花さんが、一番大好きな言葉だと言っていました。
昨日、待ちに待っていた上映日。福岡西市民センターに観に行きました。
菜の花さんが学んでいたフリースクーは、“”珊瑚舎スコーレ“”という沖縄南部にあります。 ここでは、初等部〜夜間部まで、年齢にして、6歳〜80歳まで通っている、大家族のような学校🏫です。校長先生の印象深い話。
“ここは、受験のための学校ではなく、自分の知りたいことをする学校”
戦争時には、貧しくて通えなかった学校に、行ける幸せ。三線や踊りを小さい子に教えたり、他県から来る子には、ウチナーグチを教えたり、着物の縫い方なんかも、、。 逆に、おじいやおばあが分からない学習を、みてあげる菜の花さんたち。
互いに支え合って、助け合っている姿。様々な年齢の方々がいるから、経験や自分の知らない部分を補える、この素晴らしい環境があるこの場所は、本当に豊かだと思いました。
菜の花さんは、おじいおばあから、戦争の話を聞きます。
“”戦争の話をすると、2.3日はねれなくなるのよ、、。でも、忘れちゃいけないこと。伝えなきゃいけない。“”
そう話をする人もいました。
日本復帰後、日本中にあった基地は、沖縄に移ってきました。騒音や事故、暴行事件など、、私達、本土の人間が知らない事が、沢山起きている事実。
基地撤廃の投票をして勝っても、政府は強行して新設を進める実態。
私達の声って? 民の声は届いているはずなのに、一人一人の尊厳ってなんなんだろう?
と、虚しさとやりきれなさを感じました。
それでも、それでも、前を向いて明るく日々を送るウチナーンチュの人たち。
“明るく優しい心でいられる人は 暗闇を知っているから”
沖縄の明るい部分しか見てこなかった私は、沖縄三線を習い初めて、沖縄を知ることを始めました。まだまだ、沖縄の外側の一部分にも過ぎないけれど、
知ること。
から始まります。学ぶことをやめない。
“自分を無力と思わないで。どんなに理不尽で、おかしい、と思っても、明日を迎えること。私たちに、できることはある。”
と、優しく背中押してくれて、胸に刻まれていく言葉の数々に、私も明日を迎える勇気が湧いてきます。
ちむぐりさ。
あなたが悲しいと、私も悲しい。