『おきなわ 島のこえ ヌチドゥ タカラ【いのちこそ たから】』 丸木 俊 丸木 位里 小峰書店
広島で原爆を目撃した主の使命、だとして、丸木夫妻は、“原爆の図”“水俣の図”“沖縄戦の図”を描いてこられました。
沖縄らしい色鮮やかな絵から、みるみる灰色に塗り進められていく、色がない世界へ。
1945年10月10日 アメリカ軍がふいに空からおそいかかってきた。 1945年、年が明けると、空襲はますます激しくなった。 1945年、4月1日朝早く、アメリカ軍がおきなわ島に押し寄せてきた。
つる子とさぶろうの幼い子供たち。おじい、おばあとお母さんと逃げるも、途中でおばあは弾に胸を貫かれ死に、お母さんは砲弾にやられ、おじいとはいつの間にか、離れ離れに。
幼い子供たった2人で、ただただ逃げ惑う先で、目に飛び込んでくる光景。
実際の、話。 実際にあった、本当の話。
“ワラビンチャー ヒンギリヨー。” 〔子供たちよ にげなさい〕
“ヌチドゥ タカラ” 〔いのちこそ たから〕
お母さんが、子供たちに放った言葉。
沖縄にいくと、目にする言葉。
【ヌチドゥ タカラ】
【命こそ宝】
どんな時でも、どんなことがあっても、命なければ何もなし得ぬのだ。今辛くても、眠ることができ、目を覚まして、明日になれば、良くなっているかもしれない。希望と信じる力を持って。
何人の人に証言を聞いて描いても、ある人からは、それは違う。と言われることも多くあるそうです。それくらい、人によって、捉え方も違えば、見え方も違ってくる。ましてや、戦争という激しい混乱のなかで、真実というものはどこにあるのか。
それでも、信じて描き続け、伝え続けた丸木夫妻の強い想いを、私達はそれぞれにどう受け止めていこうか。
アメリカにも友達がいる。ベトナムにも、ヨーロッパにも。。大切な友達のいる国と争いはしたくない。