『おとなになること』 GROWING UP AND OTHER VICES サラ・ミッダ 作 江國 香織 訳 ほるぷ出版
前半のページには英語訳の原文そのままが書かれていて、後半ページには、日本語訳で説明がされている、
“おとなになること”
それだけインパクトがあったこの表紙。
表紙の挿絵から、子供からみた大人。大人って何歳からなんだろう。と、色んな疑問が湧き上がってきた私。
サラ・ミッダさんの繊細な筆から描かれる挿絵から、皮肉のユーモアがたっぷり込められた、
“おとなの無神経さ”
“子どものほんとうの心”
が、ズキンと刺さるのです。
刺さるのですね、本当。笑いながらも、事実なほどの表現に、子ども時代の私が頷き、大人になった、と思われる私は、自分の子供からこう思われているんだろうな。。
なんて、気持ちが交差しきり。
レストランに子供を連れていく。子供は、静かにする場所だなんて認識がないから、特別な場所だから気持ちが興奮して、はしゃぐ。
静かにしなさい。と親が子供に言う。怒られる。
理解のできない子供。怒られて、静かにたべて、楽しくない。
“そう言った場所に連れていくのは、ある一定の年になってから。話が伝わるようになってから。
親がそのことがわからず、自分の気持ちばかり優先して、子供を従わせることが、どれだけ子どもの心に影を落とすか。子供が動き回り、はしゃぐのは動物的習性で、それを押し付ける権利は大人にはない。
どんな場所に連れていくか、いつから始めるか。それを親は考えて行かなければいけない。”
当時、息子が通っていた保育園の園長先生が話してくれたこと。
“必要のない過干渉が多すぎる”
と。自分の体裁のために、子供にいうこと。
躾といわれるものは、本当に、躾なのだろうか。
子どものする行動は、どこからの気持ちから発動しているのか。
嬉しいから、悲しいから,楽しいから、寂しいから。。
その気持ちを一旦、私たち大人と言われる者が、汲み取って、咀嚼して、考える、そんな余裕が必要ではないだろうか。
こんな風に、考えたこともあったな。
こうしたら、怒られないだろうな。 見つからないように、言われないように、、
それも、生きる術にもなるけど。
ただ、大人も完璧じゃないよ。と、子供にも伝えることは、大切なんじゃないかと思う。
みんな、完璧じゃないんだから、一緒に考えようよ。一緒に遊ぼうよ。って、そんな同じ方向を向いたら、なんだか、お互いの気持ちがわかるのかもしれない。
子宮から生まれてきてから、私達は、自由なようで自由じゃない。
でも、それはある意味幸せで、関わりあることから、どう広げていこうとも、今の時代はそれが出来る。
死ぬまで学びだなぁ。