ミーハー記念日第6回 歌う人〜三上寛さん〜
「歌う人」
———僕、実はジョン・レノンの生まれ変わりなんだよ————
初対面ではさすがに言ったことはないが、僕はときどき気になる女子にそっとこのことを打ち明ける。
そしてその女子にそれをしっかりと信じてもらえるように、普段からこの事実を打ち明ける場面を丁寧に想像し、練習していた。
時間、場所を設定して相手を決める。
そんな時、場所は新宿御苑や旧芝離宮などの日本庭園をよく使う。
季節は真夏ではなく春でもなく、初夏がいい。
初夏の新宿御苑で僕は昼過ぎに女子とデートをしている。
大きな池に架かった小さな橋を渡ったりして、苑内を休むことなくひと通り歩いて過ごす。そして疲れてくると居心地の良さそうな木陰に2人で座る。
そして僕は彼女の耳に少しだけ近づく仕草をして小声で言う。
———実は僕、ジョン・レノンの生まれ変わりなんだ———
———ある女子(A)は言う。
「何言ってるの?」
言ったあとで呆れた感じで笑う。
「本当なんだよ。誰も信じてくれないけど」
「だよね」
「でも分かるんだよ、僕には」
「どうして急にそんな変な事言い出すの?」
「急にって…。ずっと思っていたことなんだよ」
「…何言ってるの?」
本気で怪訝な目をして彼女は言う。
僕たちはその後何も話さないまま御苑を後にして電車に乗り、それぞれの家へと帰る。
このあと2度とその女子と会うことはない。
———(A)とは別のタイプの女子(B)の場合
僕の言葉を聞いて彼女はニコニコと笑う。
笑顔の彼女に僕が言う。
「本当だよ」
「そのわりにはジョン・レノンの曲を聴くなんて話、聞いた事ないけどCDとか持ってたっけ?」
笑いながら彼女が尋ねる。話を信じているというよりはいつものくだらない話の延長くらいにしかとらえていないようだ。
「僕がジョン・レノンの生まれ変わりであることと僕がジョンのCDを聞くことにはなんの必然性もないんだよ。」
「曲も聴かないのに生まれ変わりなの?」
そう言って笑い、時計に目をやると彼女は立ち上がる。僕も立ち上がり2人並んで歩き出す。
それからしばらく無言で歩くのだが途中で僕が口を開く。
「あの…さっきの話だけどさ、あれホントなんだよ。ホント」
「んー、そうねえ。信じてあげてもいいんだけど、何かないの?ジョンだった時の記憶とか…実はギターで全曲弾けるとか…」
「あ、そうね、証拠ね。ある。あるよ」
そう言いながら僕はさっと彼女に近づき唇にそっとキスをする。
「きゃ。何よ?急に」
「どう?」
「どうって…」
「いや、だからさあ、ほら、ジョンと比べて…」
そこまで言うと彼女はケタケタと笑い出す。そんな彼女に僕は言う。
「え、そう?ジョンとキスした事ないのか…。じゃあ比べようもないね。そして君がオノ・ヨーコの生まれ変わりじゃない事が今この瞬間に判明した訳だ。僕の運命の人ではないんだね…残念」
そう言った僕に彼女が言う。少し笑いながら。
「ちょっと待ってよ。ヨーコは生きてるでしょ。何よ?ヨーコのまれ変わりって。それはさすが変でしょ」
「だから、ね、時間や空間には”ねじれ”っていうものがあるんだよ。…僕はジョンの生まれ変わりだからやっぱりヨーコの生まれ変わりと結ばれることになってるの。で、僕がヨーコの生まれ変わりと出会うためには時間がねじれて、今この世にヨーコの生まれ変わりがいなければならないでしょ?まあ、これから生まれてくるっていう可能性だってあるけど」
「何よ、”ねじれ”って。それ、変。絶対おかしいよ」
彼女は相変わらず笑いながら言うのだが僕は真面目な顔で答える。
「いや、許すとか許さないとかそういう問題じゃないんだ。事実なんだから仕方がないよ。信憑性ない?」
「ぜんっぜん、ない」
これではだめだ。信じる気持ちのカケラもない。
いつものおふざけの会話と完全に混同している…。でもいい。どっちにしたって彼女はヨ−コの生まれ変わりではないんだから。
先述の(A)の女子のときと違って今度は僕が話を変える。
話題を変えれば僕もまた楽しむことができる。
しかし、どんなに楽しくたって彼女はヨーコではない。これは仕方がない。
———また別の女子(C)の場合
「僕、ジョン・レノンの生まれ変わりなんだ」
「そう」
にっこり笑ってそう言うと彼女は立ち上がって歌を口ずさみながら歩き出した。
♪ Let it be Let it be Let it be Let it be
whisper words of wisdom, Let it be ♪
後を追って僕が言う。
「ねえ、ホントなんだって、証明だってでき…」
僕がまだ話終わらないうちに彼女は振り返り僕にキスする。
「別に…疑ってないよ」
「ありがとう」
「お礼を言われる程のことじゃないよ」
「そうだね」
そう言った彼女と僕は笑いあい、それからずっと一緒に歩き続ける。
このとき僕は「Let it be」がジョンの曲でなくポールの曲であることに気がついている。しかし、わざわざ、それに触れることはしない。彼女自身もそれがジョン・レノンの曲ではないことをわかっていながら、わざとそれを口ずさんでいることを僕は感じ取っているからだ。
…数年前、自分がジョン・レノンの生まれ変わりだと信じていたころ、僕はいつもこんなことばかり考えていた。
三上博史。この名前を読み間違えることはなかなかない。
しかしながら。
三上寛、というこの名前。ご本人を知らなければ、読み方を間違えても仕方がないと思うのは甘えだろうか。1978年生まれの、あまり音楽に関心のない僕は、初めて三上寛さんの名前を目にしたときその読み方を知らなかった。
ある日、いつも利用している駅の近所にあるライブハウスの前を通りかかった僕は、出演者の書かれたはり紙を見て「三上寛」を「みかみひろし」と読み、店に入ることにしたのだった。
僕はこの時点で完全に俳優「三上博史」が出演すると思いこんでいた。
「確か三上博史は音楽をやる時は『本城裕二』という別の名前を名乗っていたような気がするけど・・」
と思い、念のため店の前にいるスタッフらしき人に声をかけてみた。
「あの、今日ここでライブをやる三上さんってあの三上さんですか?俳優もやっている…」
「ええ、まあ俳優もやってますけど…」
そうか、やっぱりそうそうなのか。
それで、とにかく僕は小さな階段を降りて店へと入った。そして1番前の席に座りビールを飲んで一息ついた。それから何げなく店内を見回すと「三上寛」と書かれた壁のチラシが目にとまった。そこには本人の写真がプリントされている。
ああ、そうか、違うのか。そのチラシからは顔はよくわからなかったが、それでも「三上博史」ではないことはすぐにわかった。 でもまあいいじゃないか。以前から僕は一度はこの店に入ってみたかったのだ。きっかけは大切だ。
ビールの小ビンを一本あけたところで2人の演奏者が入って来た。
この日の演奏者はドラムの石塚俊明氏とギターボーカルの三上寛氏の2人だけだった。石塚氏は面長で長い髪を後ろで1つに結んでいる。三上氏は恰幅のいい人で濃い眉と口ひげが印象的だ。ほとんどトークもせずに2人は演奏したが演奏が始まる前の挨拶で「三上寛」を「みかみかん」と読むということはかろうじて知ることができた。
三上氏の曲はとても独特で、僕は1言1句逃さないように聞き入った。
北国の出身らしく歌詞には故郷のことを歌ったものが多かった。その内容は
「ポストが雪に埋まってしまい手紙を出す事が出来ない」
といったような内容で、独創性に富み一貫してどこか悲し気な感じがした。歌うとも叫ぶとも言い難い三上氏の声に僕は強く魅きつけられた。
そんな彼の曲の中にたまご売りの曲があった。
————
卵売りには罪はない売ってくれよと泣きついた
可愛いあの娘に
罪がある
(三上寛・卵より)
—————
僕はそれを聞いて驚いた。自分が以前たまご売りをしたことがあったからだ。(ミーハー記念日「第2回」参照)
演奏の間の休憩中に僕は三上さんに近づきこの店で販売されているCDの中に「たまご売り」の曲は入っているかと尋ねた。
「ああ、ここで売ってるのには入ってないや。…なんだ、兄ちゃんあの曲気に入ったのか?」
「はい。あの、僕も以前たまごを売っていたことがあって、それでびっくりしたんですけど…」
「売ってたの?ははは。そういうアプローチは初めてだなあ。そうか、たまご売ってたのかあ…なあ、このあと打ち上げあるから来いよ、ちょっと飲みに行こうぜ」
「…はあ」
それから後半の演奏が始まり、11時半にライブは終了した。
玉子売りの他にも、他では聞いたこともないような歌詞が印象深く耳に残った。
ライブが終わると寛さんは再び声をかけてくれた。
「な、兄ちゃん、ちょっと行こうや」
誘われるまま僕は西荻の駅前にある飲み屋へとついて行った。
寛さんとファンのみなさんの7人程でテーブルを囲んだ。
僕は簡単に自己紹介をしたが僕以外はみんなファンクラブに入っているようだった。それで、間違えて会場に入っていた僕は心苦しくなり、しばらく話をしたあとで「三上博史」のライブと間違えて入ってしまったことを思い切ってみなさんに告白した。
「わはは、そうか。まあ、きっかけは何でもいいんだよ」
と寛さんは陽気に言ってくれた。 それをきかっけに打ち解けて調子に乗った僕は、その日初めて新宿のビデオショップで購入した2本の裏ビデオを鞄から出してみんなに自慢した。
するとファンの1人が僕の向いの若い男性ファンを指して言った。
「あのね、彼は警察官なんだよ」
しまった!こんな所に落とし穴があるなんて! 僕は愕然として調子に乗ったことを悔いた。するとすぐに
「あ、大丈夫。売るのはいけないけど買うのは罪にならないんで…」
と、警察官の男性が言い、
「だけど次はそれ置いて行けよ」
と、寛さんが言った。
「ところで…」と、再び寛さん。「お前、目がジョン・レノンに似てるな。ジョンの目だ」
僕は驚いたが、しかし落ち着いて答えた。
「わかります?実は僕、ジョン・レノンの生まれ変わりなんです。ジョンが撃たれたのは80年で、僕が生まれたのは78年なので2年重なっているからあまり信じてもらえないんですけど」
この頃、まだ僕はギターも弾けないくせに自分がジョン・レノンの生まれ変わりなのではないか、と恐れ多いことを思っていた。それを聞いて寛さんは言った。
「おお、そうか。2年なんてそんなことはいいんだよ、時間にはねじれがあるからな。そう言い切れるのは良いよ。」
しばらくそんな会話をして店を出た。 前述の警察官の方が参加者から飲み代を集めたが、最後に僕の所に来て「君は千円でいいよ、大丈夫だから」と言った。
飲んでいる時に彼はホモだから気を付けろ、と誰かが言っていたのでこのとき僕はドキリとしたのだが、のちにそれは冗談だということが分った。新人にやさしくしてくれただけだったのだ。
・警察官の彼はもちろん私服だったがちょっと想像しても制服がとても似合う気がした。
・寛さんの手は「これぞミュージシャン!」という感じでギターダコ(と、言うのだろうか)がかなりごつい。音楽雑誌でバンドのギタリストなどかなり弾いてそうな人の手と見比べたがあんな手の人はどこにも載ってなかったです。
後日僕はビデオ屋で寺山修司監督の「田園に死す」を借りた。
寛さんはこの作品に「牛」という役で出演していた。他にもいくつか映画に出ていることをあとで知ったが、ライブハウスの前で尋ねたときスタッフの方が答えた通り寛さんは俳優でもあるのだった。
それから1ヵ月ほどして僕は再び同じ店で寛さんのライブを観た。
この日も休憩中に少し話をして、休憩時間が終わる頃に僕は尋ねた。
「僕、遅れて来たんですけど『卵』と『爆破すべき美術館』ってもう演っちゃいました?」
前回のライブで好きになった曲について、僕は寛さんに聞いたのだった。
「いや、まだ演ってないよ」
それから寛さんは再びステージに立った。
ギターの音を合わせながらドラムの石塚さんに耳もとで何か言って演奏に入った。
後半1曲目は「卵」、2曲目は「爆破すべき美術館」だった。
その日僕は2本のビールを飲み、コンビーフを注文して奇声を発し、頭を振ってノリにノッた。
「おい、ジョン、ちょっと飲みにいこうぜ。」
ライブが終わった後で寛さんが言った。
僕は寛さんと、ファンの男性と3人で駅前の焼き鳥屋に入った。「なあジョン、お前『ジョン』で行けよ」
寛さんはこれから先、僕に『ジョン』と名乗るように薦めた。しかし、僕はいろいろ思うところがあったので、こう答えた。
「あ、いや、僕は別に考えてる名前があるんで…」
「そうか?『ジョン』もいいと思うけどな」
僕と寛さんのそんな会話をもうひとりのファンの方は笑って聞いていた。
それから僕の実家の話になったのだが寛さんは山梨でライブをしたことがあると言う。
「ほら、あのログハウスみたいな店…」 僕はそれですぐにピンときた。それは僕の実家のすぐ近くにある「ハ−パーズ ミル」というカレー屋さんのことだ。この店のご主人は音楽をやっていてお店をライブハウスとしても使用している。僕はこの店のカレーが好きだった。
「なあジョン、俺のいとこが高円寺でトンカツ屋やってるから今度行こうや」
「はい、楽しみにしてます」
最後にそんな話をして店を出た。
この当時、22歳の僕はまだビートルズもジョン・レノンの曲もまったくといって良いほど聴いたことがなかった。
追加
こんなことがあってからしばらくして「頭脳警察1」というレコードの存在を知った。ジャケットにはあの「三億円事件」の犯人のモンタージュ写真が大きく使われていてそれだけでかなり尖っているということがわかる。
これは「頭脳警察」というバンドのファーストアルバムで、1972年に発売される予定だったがレコード会社の自主規制により当時発売中止になったものだ。「頭脳警察」はセカンドアルバムも発売後1ヶ月で発売中止になったということである。
(そんなのやってるのってどんな人だろ?)
と思っていたらメンバーの1人が寛さんと一緒にやっている石塚さんだという。
僕にはすごく物腰の柔らかいおとなしい人に見えていたから驚いた。
※このテキストは2000年頃に執筆し、2005年頃に某出版社から発行される予定だったものです。15章ほど書いた後で出版が中止になりお蔵入りしていましたが久しぶりにnoteにて公開させていただきます。