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#11 「夢」よりも先に大切なこと

「夢」を否定してないけど


※Threadsに書いたものを加筆改訂してお送りいたします。

「夢を叶える」とか
「夢を追いかける」とか
その前に大切なことが、あるんだ!
と、知ったのが約3年前…?
あ、いやもっと最近だぞ…一昨年くらいかな?

なんで急に思い出したかというと

最近、「夢を叶える」とか「夢を追いかける」って言葉を、
全然使わなくなったな、と気づいたから。
もっと言うと、その言葉に、心が全然反応しなくなってる。

といって、現在進行形で「夢を追いかけ中」の人を見ても、
批判的な思いは、全く、何一つ無いんですよ。
その人の「夢」に共感できないとしても、
「夢」を叶える=現実に変える人は、今でも敬意を持っている。
これは正直に、素直に、そう思う。

ただ。
自分にとっては。
「夢」よりも手前にその「奥」があったなと。
その「奥」が自分の人生を動かす鍵なんじゃ無いかと。

正直にも段階がある、っぽい

いや、もっともっと正直になれば、
「夢を追いかけている」その最中でも、
「夢を追いかける」って言葉が、
正直、あまり好きになりきれなかった自分がいた。
なんとなく、胸を張って使えなかったし、
だから、なるべく使わないようにしてた。

代わりに
「やりたいことをやる」とか、
「やりたいことを追究する」とか、
「好きなことを探究する」とか、
「やりたいことがある、というのが私です」
「そのやりたいことを、やり続けてるのが私です」

という、言葉をものすごく意識的に使っていた自覚がある。
さらには、自分自身に対してそういう自分を演出して見せて、
その上でそれを対外的にもしていた。

他人からは「夢を追いかけてていいなあ」と言われることも多かったけど、
「羨ましいならやってみればいいよ」
「いいことばかりじゃ無いから、やってみればわかるよ」
という冷めた本音しかチラつかなかった。

もちろん、打ち込めるもの、夢中になれるものではあったし、
楽しさも喜びも確かにあった。
でも、何か引っ掛かって、
真っ直ぐ堂々と無邪気に言えない自分が拭い去れなかった。

それは、きっと「本当は違うんだけど」が
どこかぼんやりと、でも消えることなく、
「早く気づいてよ」と、付き纏っていたからだ。
それも、今だからこそわかるのだとは思うけど。

「夢を追いかける」その奥

さらに、私の場合。
 「叶える」という言葉には全く実感がなく、
「追いかける」方がしっくりきていて、
実際「追いかけ続けるだけ」だった。

「叶える」よりも、
「追いかける」ことが 「目的」だった。
「追いかける」ことに意味があった。

「追いかける」ことで、
見なくて済むこと、
認めなくて済むこと
無かったことにできること、
満たされるんじゃないかと思うこと、が、有ったから。

実際、そうは問屋が卸さなかった。

見るべきことは、目を留めるまで 私を追いかけてくる。
認めるべきことは、認めるまで 私を追いかけてくる。
無かったことにしたいことは、 どこまでも無かったことにはならない。
満たされるはずだと信じ続けても、
心が満たされるのはいつも刹那で、続かない。
でも心の飢え渇きと、渇望と不安はずっと続く

「現実」から逃れるために
無理やり「夢」を見続けることを選んでいる。
それが私の「夢を追いかけている、本当の現実」だった。

「現実」からなるべく逃避しながら、
「現実」を生きようとしていた、
私のこんなあり方は、「依存症」と同じ構造だと思う。

そうだ。私は、依存症だったんだ。

「夢」依存症
「やりたいこと」依存症
「自己実現」依存症

だから、一歩間違えばそれが
お酒や、薬や、恋愛や、買い物や、
そういったものに取って代わられていたと思う。
同じ穴のムジナだ。

本当に求めていることは
「やりたいことをやる喜び」ではなくて、
その向こう側にある、
「現実の人生から逃げたい」だった。

強烈な自己矛盾と自己否定。
それは、自尊心の低さ以外に何物でもなかった。

心の底から本当に願っていたことは

いろいろの経緯はまた別に書くとして。
諸々の経緯は一旦端折って、
「夢」を手放した今。

心満たされる日々が訪れた。

「現実の人生」のしんどさが減った。
しんどさは無くならないけど、
救いがあったし、心が平安に満たされ、
いつも減らない「安心」が心に生まれた。

「現実」の人生に、「安心」と「充足」が満ちる。
そんなことは望んでも叶わないと思っていたのに。

そしたら、「夢を追いかける」という言葉が、
私からすごく遠くなって、 使わなくなった。
前と同じように響くことは無くなったし、
響き方も変わった気がする。

もっと大切なこと。
それは、心の底から本当に願っていたことで、
そこさえも直視することが怖くて、
「夢」で目隠しして、
「夢を追いかける」ことで逃げ回っていた。

「現実」が満たされる。
それこそが、本当に心から願っていたことで、
それが「私の本当の夢」だったんだ。

諸々の経緯はあれど、
きっかけは些細な心境の変化で
「ちょっと一旦」のつもりで手放してみた。
結果として「夢」を手放したことが
心の目隠しを外すことになって、
さらにそこから、いくつかの出来事があって
「本当の夢」が叶ったことに気づかせてもらえた。

次は、きっと、その先にある
「現実にするべき目標」に出会うんだろう。
それはいつ訪れる出会いかわからないけど、
必ず、願い求めていればその時は来る。

今はその準備の時。
だからこそ「夢」が無くて、
心も全ての必要も満たされた今の時間を
喜んで受け取り、満喫して生きよう。


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