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損得ではないと思うもの
先日、学校の役員決めがあった。
今年で6回目の参加だったがどうしたって慣れない。
あの雰囲気が苦手だ。
わたしは一昨年に大きな役をやっている。
なのでどうしても決まらない場合、もしかしたらくじ引きで当たるかも、くらいのものだった。
それでもドキドキする。
保護者にはもちろんいろんなタイプの方がいる。
役員が得意?というか、仕切るのが上手いリーダータイプの方や意欲を持って取り組んでくださる方なんかは何度も引き受けてくれている。
一方で得意ではない方がいるのも事実。
少し前に聞いたポッドキャストで、大好きなジェーンスーさんがこんなことを言っていた。
世の中には「得意だからやる人」と「苦手だからやらない人」そのどちらかだけではなく、中間の「得意ではないけどやらなければいけないからやる人」が大勢いる。
社会はそういう人に支えられている。
ざっくり言うとそんな内容だった。
それそれ!
わたしもそれだ。
学校の役員なんてはっきり言ってやりたくない。
でも誰かがやらなければならない。
それならずっと逃げているのは気持ちが良くない。
だから引き受けた。
実際やってみたら、気が向かないことのほとんどがそうであるように、大変ながらも発見がたくさんあり勉強になった。
今までやってくれていた保護者の方への感謝の気持ちが持てたり、これから引き受けてくれる方の大変さも理解できるようになった。
役からずっと逃げ続けて免れる人もいる。
近所のママさんはそういう人を「ずるい」と言い、顔をしかめるのだが、本当にそうだろうか。
逃げ切れたから得とか、大役に当たったから損とか。
そんなものではないんじゃないかな。
例えば、何度も大変な役を引き受け、子ども達や保護者のために動いてくれる方のことをわたしはすごく尊敬している。
得意ではなくても、当たったら何も言わず快く引き受けてくれた方に対しては困ったことがあれば力になりたいと思う。
一方で、ずっと言い訳をして逃げ続ける人を助けたい気持ちにはならない。
それが本当に「得」だと言えるだろうか。
長い目で見たら「損」に転ぶかもしれない。
ほとんどの人は嫌でも仕方がないからやるのだ。
人柄の問題。
そもそも役員自体を損得で考える思考にも、どうも賛同できない。
小さなモヤモヤ。
とりあえず、自分に役が回ってきたなら、やれることは精一杯やるだけだな。
あと他人のことをあーだこーだ言わないようにしたい。