めがね越しの
「左右ともに1.5、いいですねー。」
この秋の健康診断、病院でそう告げられた。
41歳、裸眼でこの視力。
ありがとうございます。
「目が良すぎると老眼になるよー」と周囲に脅されながらも、まだその気配もない。
ちなみに最近は「老眼鏡」ではなく、「リーディンググラス」と言うんだって。
呼び方かっこいい。
ところで、目に紫外線を浴びるとメラニン色素が作られるそうだ。
肌の老化は少しでも緩やかにしたい。
あと、すっぴんを誤魔化したい(実はこの思いの方が強かったりする)。
そんな理由からUVカットの眼鏡を買おうと思っていた。
幼い頃からありがたいことに視力はずっとAと言われてきて、無縁だった眼鏡に対する憧れもあった。
リーディンググラスはまだ先になりそうだし。
今はおしゃれな眼鏡がたくさん売られているから。
そしてこの冬、ついに眼鏡デビューを果たした。
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まだ小学校低学年の頃。
母の運転する車の中でよくドリカムのアルバムがかかっていた。
「決戦は金曜日」や「晴れたらいいね」などの有名な曲が入っているそのアルバムの中にとても好きな曲があった。
実際にこの曲を好きだと思ったのはもう少し先のような気もして、小学校高学年になってからだったのかもしれない。
最初はあまり目立たない、地味な曲くらいに思っていたかも。
歌詞を読み、何度も聞いて、少しずつ好きになっていった。
この世界観がすごく好きだった。
でもわたしはびっくりするくらい、視力が落ちることもなく大人になった。
勉強せず運動ばかりしていた。
ちなみに虫歯にもならず、中学生の頃には良い歯だと表彰されて、あまりの健康っぷりに少し恥ずかしくなった。
図書館で本を借りることもほぼなく、カードの強くてきれいな名前にときめくこともなかった。
「眼鏡越しの空」の中の可憐な少女には程遠かった。
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眼鏡はわたしの生活にすぐに溶け込んだ。
運転をするとき、自転車に乗るとき、メイクをしたくないとき。
紫外線から守ってくれるし、のっぺりした顔を隠してくれる。
眼鏡生活最高、いい買い物したなあ。
そして発見があった。
眼鏡をしていると少し人見知りが緩和されるのだ。
レンズが一枚あるだけで守られている感覚がある。
マスクと通じるものがある。
これがドリカムの言う「気を隠すにもちゃんと見るにも都合がいい」ということなのか。
あるいは「防御壁」ってそういうことか、などとちょっとわかったような気になる。
いつも行くスーパーで、いつもなら挨拶を交わすくらいの店員さんと5往復ほどの会話をしてしまうくらいには効果がある。
(家に帰ってから調子に乗って喋りすぎたかなあと後悔した。)
そんな、いろんな意味で新しい世界を見せてくれる眼鏡との付き合いはまだ始まったばかりである。
もう1本買おうかなあ。