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夢を追えるしあわせ 映画「ジュディ 虹の彼方に」

素晴らしい映画を見ました。心から沸き立つものを感じ、そして感動し、泣きました。

映画「ジュディ 虹の彼方に」の背景は、女優そして天才エンターテナー、ジュディ・ガーランドにとって最後のステージとなるイギリス公演。輝かしくも痛々しくて、そして生々しいその時間と同時に、彼女の精神を蝕むフラッシュバックを突き刺す構成でこの作品は創られています。

ジュディ・ガーランドのスターダム街道は、もちろん「オズの魔法使い」のドロシー役から始まりました。しかし、それは大人たちが敷いたレールの上でのこと。ハリウッド黄金期に勝手に放り込まれてしまったことは、残酷にも彼女にとって少女時代の欠落を意味します。映画制作の道具の一つにされ、金によって母親という存在すら見えなくなってしまう。温かい家庭を求めたのでしょうか、大人になったジュディは結婚と離婚を繰り返しますが、彼女は大スターでもあり、それと同時に異常者でもある。もがきながらも、子供たちのことを真摯に思い続ける。しかし、落ちぶれた彼女には親権すらまともに交渉が出来ない。…と、とにかくオープニングから、痛い。しかし、映画は綺麗で華やかで、俳優陣も活き活きと撮られているのです。だから、確かに厳しいストーリーなのに、見ているこちらは重々しくなるような事はありません。だからこそ、まるでミステリのように、続きが気になってしまうのです。そして、映画のポスターに「47歳で散る、その前に」というような表現もあるように、ジュディ・ガーランドは、もうすぐ死ぬと分かっているので、余計気持ちが逸ります。

そしてジュディを演じる、レネー・ゼルウィガーの演技が、私の目を一瞬も離さないのです。老け込んだというより、刻まれたという言葉がしっくり合う芝居はすさまじい。落ちぶれたスターの貫禄までもを表現するその演技は、アカデミー賞主演女優賞という称号を獲得したのも、心から納得します。トロント映画祭で、拍手が鳴りやまなかったのも、もちろん十分理解できてしまう。私も最後、泣きながらこの映画に拍手していました。家で。

この作品は、5月1日から複数のオンデマンドサービスにて、急遽デジタル上映が開始されています。何度か別のコラムでも触れたように、自粛による映画館閉鎖が影響した作品のひとつですね。日本劇場公開からデジタルまで、わずか2か月弱となっています。

この映画を見終わって、もちろん史実の通り彼女は47歳で亡くなるのですが、なぜか見る前に覚悟していたような、重々しい暗い気持ちにはなりませんでした。むしろ、憧れや夢や、希望や人の温かさというものを、再認識するような感情が走ったような気がします。何かが欠如した人を見て、自分が持っている事を幸せに思うというような、そんな皮肉な心理ではなく。なんだか、とてつもなく懸命に生きる人物に出逢ったような、そんな潔さが残った映画でした。

「ジュディ 虹の彼方に」をU-NEXTで視聴

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