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兵庫五国連邦
U5H(ユナイテッド・ゴコク・オブ・ヒョーゴ)兵庫五国連邦
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江戸時代までの中心地は姫路藩
播磨国国府・姫路藩を中心とした広大な領地を播磨国と言い、今も播州と呼びます。
日本随一の古墳数を誇る兵庫県のなかでも、旧石器時代からの遺跡も多く残る、播磨。
姫路は温暖で積雪がなく(広峰山以北、夢前町を省く)、台風や地震も滅多にない平坦な平地を持つ地域であり、神戸よりも都市づくりには向く。
かつて日宋貿易の拠点として、明治維新後は日本を代表する港として発展した摂津(神戸・阪神)。旧居留地や南京町、異人館が残る。
攝津は現在の阪神地区。
兵庫県、どころか、日本のはじまりの地として「古事記」冒頭に描かれる、淡路。
日本海の良港であり江戸時代には北前船の「風待ち/潮待ち」港としても栄えた、但馬。城崎温泉が有名、積雪量が多い。
大規模古墳、旧石器時代遺跡、さらには1億年遡る白亜紀の丹波竜まで発見された、丹波。
丹波より南部の三田市は寒冷地で、氷瀑が観られる事がある。三田は和牛の原産地で、神戸牛は主に三田市と加古川市で育てられている。
兵庫県は纏まりがない兵庫五国連邦 ヒョウゴスタン
それぞれの地域が旧国に誇りを持ち、それが兵庫県内が纏まらない一因ともなっています。
<播磨国>
姫路藩 飾東郡姫路(姫路市) 酒井 忠惇(15万石)
明石藩 明石郡明石(明石市) 松平(越前)慶憲(8万石)
龍野藩 揖東郡龍野(たつの市) 脇坂 安斐(5万1千石)
赤穂藩 赤穂郡赤穂(赤穂市) 森 忠典 (2万石)
三日月藩 佐用郡三日月(佐用町) 森 俊滋 (1万5千石)
小野藩 加東郡小野(小野市) 一柳 末徳 (1万石)
三草藩 加東郡三草(加東市) 丹羽 氏中 (1万石)
山崎藩 宍粟郡山崎(宍粟市) 本多 忠鄰 (1万石)
安志藩 宍粟郡安志(姫路市) 小笠原 貞孚 (1万石)
林田藩 揖東郡林田(姫路市) 建部 政世 (1万石)
赤松氏が衰退したあとの姫路には有名人が多い
・黒田官兵衛
・羽柴秀吉 姫路城築城
・池田輝政(播磨一国52万石、一族で100万石)姫路城大改築
・本多忠刻 西之丸造営(千姫のため)15+5+10万石
・酒井忠邦(徳川譜代の名門)
藩主以外にも、宮本武蔵、千姫
播磨国本城姫路城の他に三木城(伊木忠次)・明石城(船上城)(池田利政)・高砂城(中村正勝、短期間)・龍野城(鶏籠山城)(荒尾成房)・平福城(利神城)(池田由之)・赤穂城(加里屋城)(池田長政)を支城として配置した。
姫路藩主・榊原政岑(まさみね)の参勤交代史料が姫路市公式サイトにある
1704年に再入封した榊原家は、本多忠勝と並ぶ徳川四天王の榊原康政を祖とする譜代の名門で、3代30年以上にわたって姫路藩15万石を領した。
書写山圓教寺に榊原家や松平家の廟所がある。
榊原家の大名行列は450人の大きな規模でした。姫路から江戸まで640キロ、27泊28日の長旅でした。川の増水で川止めが有ると10日も日数が延びたという。
姫路城下町や飾磨の宿場は、西国大名の参勤交代でも利用され賑わいました。姫路の大きな富を浪費していたのが榊原政岑でした。
政岑は将軍・徳川吉宗が出した倹約令を無視した行動を行った傾奇者でも知られる殿様。
享保17年(1732年)姫路藩主・榊原政祐の末期養子となり、宗家を継承した。
吉宗に逆らったため、豊かな姫路藩から実収の乏しい北国の越後高田15万石に懲罰的転封された。
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姫路城は江戸幕府の西国の睨みであったため、戊辰戦争では姫路藩は朝敵の名を受け、官軍の討伐対象とされたが、江戸城に習って無血開城した。
廃藩置県が実施されると姫路藩は姫路県となり、飾磨地方の諸県と合併して飾磨県となるが、1876年に飾磨県は廃止されて兵庫県に合併された。
飾磨県に改名された理由は、旧姫路藩は譜代の佐幕藩であったために、県名として姫路の名称を使うことが明治政府によって嫌われたためであるとしている。
それから、飾磨津という港があったことも、兵庫津(神戸県にならなかった)と似ている。
生野銀山から日本初となる高速道路「銀の馬車道」が整備され、飾磨津まで銀が運ばれました。現在は産業道路として利用されています。
この産業道路(銀の馬車道)ぞいにイオンモール「リバーシティ」がありますが、それに関連した豆知識
イオングループの中核スーパーJASCOの三者の1つが姫路
JASCOの元社長、二木(ふたぎ)英徳さんは、姫路市出身
フタギ洋品店(姫路空襲で全焼)→スーパー「フタギ」→「JASCO」→イオングループ
神戸大丸、神戸そごう、神戸三越に次いで、県内4位のスーパーだったが1968年に事業拡大、三重県の岡田屋と大阪府のシロとの三者合併でJASCOが誕生した。
二木社長(当時)はJASCOになってから人材育成に注力し、一強とも言われるようになったイオングループの屋台骨を築いた。
フタギの姫路市内のライバルは、ヤマトヤシキ、山陽百貨店、姫路民衆駅(今のピオレ)、ダイエーとトポスでした。高砂市の西友も商圏内でしたが、現在はイオングループが圧倒的に強い。
姫路のショッピングモールで一番短命だったのは、イトーヨーカドーでした。セブン&アイグループは今では全国的に規模縮小していますね。
衰退した西友もそうですが、人材育成は大切ですよ。
他府県で出身地を聞かれると、県庁所在地の「神戸」、播磨国の誇り「姫路」と答える。赤穂浪士を毎年年末にドラマ化していた時代には、赤穂市のひとは「赤穂」と言っていたようです。
播州たつのの揖保乃糸
「揖保乃糸」に代表される播州地方の手延べそうめん。その生産過程で切り落とされた端っこは「ばち」と呼ばれ(三味線の「バチ」に似ているからとか)、地元ではみそ汁やすまし汁の具として使われているそう。ゆでずにそのままだし汁に入れ、淡口(うすくち)しょうゆで味を調えれば「ばち汁」の完成です!
たつのにはヒガシマル醤油の工場がある。
江戸時代、龍野のしょうゆ醸造業者の発案で、しょうゆもろみに甘酒を加えてみたら、なんと不思議、色が薄くて香りの良い「淡口しょうゆ」に。実はこれ、龍野を流れる揖保川の水質が軟水だったからこそのミラクルだそう。こうして龍野で生まれた淡口しょうゆは、その後京都や大阪で大ヒット。今やなくてはならない存在です!
播州姫路の関東煮
関東煮と書いて「かんとうだき」「かんとだき」と読む姫路の元祖おでん
出汁は関西では珍しく濃口醤油を使用し、甘口に仕上げます。
濃い口醤油で煮込むおでんなので具材は茶色く染まる。
子供はそのままの味で食べて、大人は姫路独特の生姜醤油につけて食べる。生姜はおろし生姜です。元々、姫路市白浜町が生姜の産地でした。
元祖おでんと書いたのは、のちに「姫路おでん」の名称で、日本中何処にでも有るような普通のおでんを生姜醤油で食べる新しいおでん?が作られたからです。
姫路のコンビニでは全国共通のおでんに袋入り生姜醤油を好みで付けてもらうだけで、姫路名物の関東煮とは全く違う、普通のおでんです。
えきそば JR姫路駅
まねき食品のラーメン(駅そば)。中華そばを使い、出汁はうどん出汁、具は天かすかきつねが基本で、立ち食いスタイルでした。今は具の種類も増えて、座って食べられる様になった。
姫路は観光地が多い
姫路城、好古園、書写山圓教寺、太陽公園の世界ミニチュア観光地巡りと白鳥城、ゆめさき苺ハウス、夢前の地鶏、ヤマサ蒲鉾体験教室、杵屋和菓子づくり体験、姫セン(セントラルパーク)の絶叫アトラクションとサファリパーク、姫路城三の丸にある動物園、手柄に有る山の上の水族館、鬼瓦工房「清泉」
播州高砂のファストフード
薄く延ばした生地に具材をのせて焼いたものを戦前の兵庫では“にくてん”と呼んでいたようですが、今も高砂で愛される“高砂にくてん”は甘辛く煮込んだジャガイモやすじ肉が入っているのがポイント。おでんの残りを入れたのが始まりだそうで、まさに暮らしから生まれたソウルフードです!
元は関東煮の鍋の底に溜まった残り物具材がリサイクルされたといわれる。
播州西脇の味
見た目はシンプルなしょうゆラーメンですが、最大の特徴は甘いスープ。
甘みを加えるタマネギやリンゴ、魚のだし、氷砂糖などを煮込み、甘さが強い。
そのルーツはなんと北播磨の地場産業「播州織」!織物工場で働くために全国から集まった若い女性たちの口に合うように工夫が重ねられて、甘みの強いスープになったそう。誕生から半世紀以上たった今、地域ではすっかりラーメンといえばこの味!「播州ラーメン」。
播州明石たこめし
タコが足を広げて干された姿が、播磨灘の夏の風物詩としておなじみの「干しだこ」。その干しだこを使ったたこめしは、明石で古くから受け継がれてきた浜の味。炊く前に軽くあぶるのもポイントで、香ばしさもうまみも歯応えも「一度食べたら普通のたこめしでは物足りなくなる」くらいだとか。商品としては淡路屋の蛸壺型の弁当が有名。
オノコロ島?
「古事記」や「日本書紀」によると、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)が天沼矛(あめのぬぼこ)で下界をかき回し、日本で最初に生まれたのが淡路島(あわじしま)。『古事記』では淤能碁呂島(おのごろじま)、『日本書紀』では磤馭慮島(おのころじま、自凝島)
「あれ?伝説の巨人〝ダイダラボッチ〞が、比叡山につまずいて蹴飛ばした土塊が淡路島では?」と首をかしげたあなた。かなりの淡路島マニアです。
「日本書紀」によると、595年にお香の原料となる「香木」が日本に初めて漂着したのが淡路島。その香木を島民がかまどにくべると煙があまりに良い香りで、朝廷に献上するほどだったとか。
丹波の黒大豆(&えだまめ)
今や全国的なブランドとなっている丹波黒大豆。そのおいしさは江戸時代の数々の史料に記述があるそうで、篠山藩主が丹波篠山市川北に狩りにやって来た際に昼食で食べた黒豆のおいしさに感心し、なんと米の代わりに年貢として納めることを許可したとも。盆地特有の昼夜の寒暖差や清らかな水などの気候風土から生まれるべくして生まれた名品!
丹波は兵庫県と京都府に分かれています。
「紫ずきん」高級食材として知られる丹波黒大豆を、えだまめとして食べやすいように改良したもので「京のブランド産品」として認証されています。
但馬の城崎温泉
約1300年前の開湯とされる豊岡市の城崎温泉。次々とできた共同浴場〝外湯〞は、湧出量が少ないこともあり、地域で大事に守られてきたそう。自宅に風呂を造らず外湯を利用してきた風習が文化となり、観光客にも人気の外湯巡り。
太閤の湯
豊臣秀吉は太閤さんとも呼び親しまれていた。
秀吉が頻繁に訪れた湯は、太閤の湯と名付けられた。
六甲山北側には有馬温泉があり、褐色の「金泉」と無色透明な「銀泉」、「炭酸泉」が楽しめます。風呂上がりには「鉄砲水」という有馬サイダーを飲む人が多い。
温泉街全体が六甲山の麓なので土地が傾斜しています。有馬川の両岸はよく整備されていて遊歩道になっている。
兵庫県の大阪、尼崎
ちゃんぽんにあんがかかっている「尼崎あんかけチャンポン」ですが、味はしょうゆ味に塩味、ぴり辛味、麺はラーメンやうどんなど、上にはエビが丸ごとのっているのもあれば、ふわふわ卵のものも。唯一の定義が「あんがかかっている麺」なので、各飲食店で自由に発展中。食べ飽きないこと間違いなし!
尼崎の市外局番は大阪と同じ06
甲子園は兵庫県
雑に「大阪」と言っちゃうメディアやタレントも多いですが、甲子園の所在地は兵庫県西宮市です。近いから大阪というなら、川崎市も東京ですよね。
ディズニーランドを東京と言っちゃうのと同じか?
日本最古の珈琲店
神戸・元町の「放香堂」は日本茶専門店でありながら、神戸港の開港とともにコーヒー豆の輸入を開始。豆を石臼でひいたコーヒーを店先で提供していたことから、日本最古のコーヒー店といわれています。
明治時代からコーヒーが楽しまれていたなんてさすがハイカラな街、神戸!他に、ストレートコーヒーや缶コーヒーも神戸発です!
神戸の和風餃子?
神戸餃子の最大の特徴がみそだれ。半世紀以上前に神戸のお店から始まったそうです。今や数多くある専門店の自家製たれを楽しめるみそだれ文化に。地元では「ギョーザはこの店が好きだけど、みそだれはこの店が好き」など、それぞれの推し店があるとか。
神戸は「かまぼこ」発祥地
神功皇后が神戸・生田神社の生田の森に立ち寄り、すりつぶした魚肉を鉾(ほこ)の先に塗り付け焼いて食したという伝説があることから、神戸がかまぼこの発祥の地とも。その形がガマの穂に似ているから「蒲の穂」とか、鉾に見えるから「がまほこ」とか、語源に関しても諸説あり。ともかく海の幸に恵まれた兵庫の地にかまぼこは相性ぴったり、生産量は全国1位!(農林水産省「水産加工統計調査」2022(令和4)年度のデータから)
日本初の岩登り ロッククライミング・クラブ
ロッククライミングを日本で初めて紹介したのは、1924(大正13)年に神戸で結成された「ロック・クライミング・クラブ(RCC)」。中心人物の藤木九三は六甲山の岩場を「ロック・ガーデン(現芦屋ロックガーデン)」と名付け活動の場とし、その技術をまとめた本が「岩登り術」! 今でも芦屋ロックガーデンは多くの登山客に愛され、週末には渋滞も起こるほどです。
山陽電車沿線の垂水・須磨エリアは駅からすぐの場所に、
六甲全山縦走のはじまりの山である旗振山、鉢伏山があります。
平安時代に編纂(へんさん)された「伊勢物語」には、当時の貴族らが京都から布引の滝を見に来たことが記され、当時から親しまれていたことがわかります。
明治に入ってから、欧米人を中心に登山グループが誕生し、神戸の人々も「早朝登山」「毎日登山」を行うようになりました。
六甲全山縦走は大正時代から行われていたようです。
単独行によって数々の登攀記録を残した加藤 文太郎のトレーニングも六甲山でした。
「僕は岩登りもスキーも下手なので、パーティの一員としては人に喜ばれず、やむなく一人で山へ行くのであって、別にむずかしいイデオロギーに立脚した、単独行を好んでいるわけではない」(剱沢小屋雪崩事故)
1925年(大正14年)六甲全山縦走を行い、それ以来、神戸から生家のある浜坂に帰る際には全行程100キロ以上を何度も徒歩で帰ったという。
1936年(昭和11年)1月、槍ヶ岳北鎌尾根に挑むが、猛吹雪に遭い天上沢で凍死(31歳)「国宝的山の猛者、槍ヶ岳で遭難」と報じられた。
日本を代表する世界的冒険家の植村直己さんは、豊かな自然に囲まれた兵庫県の豊岡市に生まれ育ちました。
1984年2月13日、米国アラスカ州にあるマッキンリー山(現デナリ山 標高6190メートル)の冬季単独登頂に世界で初めて成功した翌日消息をたった。
播州加西のアラジン
イギリスで製造されたブルーフレーム、 現在、国内で ブルーフレームの製造・販売を行っているのが、日本 エー・アイ・シー株式会社 Aladdinです。
歴史を学ぶにも良い加西、古代鏡展示館、Soraかさい(紫電改展示)、法華山一乗寺、河上山久学寺、古法華自然公園
播州加東の生活ゴミ
加西市があれば加東市もありますが、加東は生活ゴミが少ない市町No.1
加東市には東条湖おもちゃ王国や播州清水寺があります。