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浄土真宗
浄土真宗で重要とされるお経は3種類
浄土三部経とは、大無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経という3部の経典です。
南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)。 あるいは「ナンマンダブ」。
南無阿弥陀仏と唱える主な宗派は、浄土宗、浄土真宗、天台宗などです。
「南無阿弥陀仏」とは「阿弥陀如来(あみだにょらい)にすべてをゆだねます」という意味で、浄土宗では念仏を唱えれば、誰でも極楽浄土に向かうことができると説いている。
鎌倉時代初期の僧である親鸞が、その師である法然によって顕らかにされた浄土往生を説く真実の教え(顕浄土真実)を継承し、親鸞の没後に、その門弟たちが教団として発展させた。
正信偈(しょうしんげ)とは?
阿弥陀仏念仏を正信することおよび七高僧(竜樹・世親・曇鸞・道綽・善導・源信・源空)をたたえた賛歌で,阿弥陀仏の本願への信心と,念仏こそが往生の正因であることを強調。 真宗では在家・出家を問わず朝夕の勤行などに広く誦せられる。
正信偈とは? 浄土真宗では「正信偈」を読みます。 正信偈は、親鸞が浄土真宗の要点をまとめた言葉であり、厳密に言うとお経ではありません。
真宗の要義大綱を七言60行120句の偈文にまとめたものである。
正信偈の最初の2行では、親鸞が阿弥陀如来に救われたことの喜びを繰り返しています。
浄土真宗
阿弥陀さまは信心する者を救いたがる仏様
信楽(しんぎょう:仏教用語)
教えを信じ喜ぶこと。
阿弥陀仏の本願を信じて疑わないこと。
阿弥陀仏の本願に「若不生者 不取正覚」(若し生まれさせることができなければ、仏のさとりを捨てる)と、弥陀は命を懸けて誓われているから、この世で必ず「信楽」に生まれる時が来ると、親鸞聖人は明らかにされている。「信楽」とは、いつ死んでも弥陀の浄土へ往けるとハッキリした、「往生一定(おうじょういちじょう)」の大安心をいい、「正定聚(しょうじょうじゅ)」ともいわれる。
正定聚
仏になれることが 正 まさ しく定まっている人々、あるいはその境地のこと。
「若不生者のちかいゆえ 信楽まことにときいたり
一念慶喜するひとは 往生かならずさだまりぬ」
「獲信見敬大慶喜 即横超截五悪趣」
信心獲得=「獲信」(ぎゃくしん)。獲は現世、得は死後でえるもの。
完成のある信心を教えられた親鸞聖人の教えは、他宗教でいう信心とは全く違う
信を獲て見て敬い大きに慶喜すれば 即ち横に五悪趣を超截す
「信心獲得しなさい」ということ。
一念のとき=「見敬」(けんきょう)。何億分の一秒よりも速い時間の極まり
「五悪」は5つの悪い、「趣」は世界。
迷い、苦しみの世界「六道」の修羅を人間に含めて、地獄、餓鬼、畜生、人間、天上の5つの世界を五悪趣といいます。
「横に」とは阿弥陀仏のお力
阿弥陀仏のお力によって、一念(一瞬)で五悪趣(迷いの世界を)断ち切られます。
阿弥陀仏のお約束通り、一念で絶対の幸福に救われたとき、その人の信心を他力の信心といいます。
「総讃」-「帰命無量寿如来 南無不可思議光」
帰命無量寿如来
きみょうむりょうじゅーにょーらいー
無量寿如来に帰命し、
南無不可思議光
なーむーふーかーしーぎーこーう
不可思議光に南無したてまつる。
「依経段」
「弥陀章」-「法蔵菩薩因位時 - 必至滅度願成就」
法蔵菩薩因位時
ほうぞーぼーさーいんにーじー
法蔵菩薩因位の時、
在世自在王仏所
ざいせーじーざいおうぶっしょー
世自在王仏の所に在して
覩見諸仏浄土因
とーけんしょーぶつじょうどーいーん
諸仏浄土の因、
国土人天之善悪
こくどーにんてんしーぜんまーく
国土・人天之善悪を覩見して、
建立無上殊勝願
こんりゅうむーじょうしゅーしょうがーん
無上殊勝の願を建立し、
超発希有大弘誓
ちょうほつけーうだいぐーぜーい
希有の大弘誓を超発せり、
五劫思惟之摂受
ごーこうしーゆいしーしょうじゅー
五劫に之を思惟して摂受す。
重誓名声聞十方
じゅうせいみょうしょうもんじっぽーう
重ねて誓うらくは「名声十方に聞えん」と。
普放無量無辺光
ふーほうむーりょうむーへんこーう
普く無量・無辺光、
無碍無対光炎王
むーげーむーたいこうえんのーう
無碍・無対・光炎王、
清浄歓喜智慧光
しょうじょうかんぎーちーえーこーう
清浄・歓喜・智慧光、
不断難思無称光
ふーだんなんしーむーしょうこう
不断・難思・無称光、
超日月光照塵刹
ちょうにちがっこうしょうじんせー
超日月光を放ちて塵刹を照らす、
一切群生蒙光照
いっさいぐんじょうむーこうしょう
一切の群生、光照を蒙る。
本願名号正定業
ほんがんみょうごうしょうじょうごーう
本願の名号は正定の業なり、
至心信楽願為因
しーしんしんぎょうがんにーいーん
至心信楽の願を因と為す、
成等覚証大涅槃
じょうとうがくしょうだいねーはーん
等覚を成り大涅槃を証することは、
必至滅度願成就
ひっしーめつどーがんじょうじゅー
必至滅度の願、成就すればなり。
「釈迦章」-「如来所以興出世 - 是人名分陀利華」
如来所以興出世
にょーらいしょーいこうしゅーっせー
如来世に興出したまう所以は、
唯説弥陀本願海
ゆいせつみーだーほんがんかーい
唯弥陀の本願海を説かんとなり。
五濁悪時群生海
ごーじょくあくじーぐんじょうかーい
五濁悪時の群生海、
応信如来如実言
おうしんにょーらいにょーじつごーん
応に如来如実の言を信ずべし。
能発一念喜愛心
のうほついちねんきーあいしーん
能く一念喜愛の心を発せば、
不断煩悩得涅槃
ふーだんぼんのうとくねーはーん
煩悩を断ぜずして涅槃を得、
凡聖逆謗斉廻入
ぼんしょうぎゃくほうさいえーにゅう
凡・聖・逆・謗斉しく廻入すれば、
如衆水入海一味
にょーしゅーすいにゅうかいいちみー
衆水の海に入りて一味なるが如し。
摂取心光常照護
せっしゅーしんこうじょうしょうごー
摂取の心光は常に照護したまう、
已能雖破無明闇
いーのうすいはーむーみょうあーん
已に能く無明の闇を破すと雖も、
貪愛瞋憎之雲霧
とんないしんぞうしーうんむー
貪愛・瞋憎の雲霧、
常覆真実信心天
じょうぶしんじつしんじんてーん
常に真実信心の天を覆えり、
譬如日光覆雲霧
ひーにょーにっこうふーうんむー
譬えば日光の雲霧に覆わるれども、
雲霧之下明無闇
うんむーしーげーみょうむあーん
雲霧の下明らかにして闇無きが如し
獲信見敬大慶喜
ぎゃくしんけんきょうだいきょうきー
信を獲て見て敬い大いに慶喜すれば、
即横超截五悪趣
そくおうちょうぜつごーあくしゅー
即ち横に五悪趣を超截す。
一切善悪凡夫人
いっさいぜんまくぼんぶーにーん
一切善悪の凡夫人、
聞信如来弘誓願
もんしんにょーらいぐーぜいがーん
如来の弘誓願を聞信すれば、
仏言広大勝解者
ぶつごんこうだいしょうげーしゃー
仏は広大勝解の者と言い、
是人名分陀利華
ぜーにんみょうふんだーりーけ
是の人を分陀利華と名く。
「結誡」-「弥陀仏本願念仏 - 難中之難無過斯」
弥陀仏本願念仏
みーだーぶつほんがんねんぶー
弥陀仏の本願念仏は、
邪見憍慢悪衆生
じゃーけんきょうまんあくしゅーじょーう
邪見・憍慢の悪衆生、
信楽受持甚以難
しんぎょうじゅーじーじんにーなーん
信楽受持すること甚だ以て難し、
難中之難無過斯
なんちゅうしーなんむーかーしー
難の中の難斯に過ぎたるは無し。
「依釈段」
「総讃」-「印度西天之論家 - 明如来本誓応機」
印度西天之論家
いんどーさいてんしーろんげー
印度西天の論家、
中夏日域之高僧
ちゅうかーじちいきしーこうそーう
中夏・日域の高僧、
顕大聖興世正意
けんだいしょうこうせーしょういー
大聖興世の正意を顕し、
明如来本誓応機
みょうにょーらいほんぜいおうきー
如来の本誓、機に応ずることを明す。
「龍樹章」-「釈迦如来楞伽山 - 応報大悲弘誓恩」
釈迦如来楞伽山
しゃーかーにょーらいりょうがーせーん
釈迦如来楞伽山にして、
為衆告命南天竺
いーしゅーごうみょうなんてんじーく
衆の為に告命したまわく、「南天竺に、
龍樹大士出於世
りゅうじゅーだーいじしゅっとーせー
龍樹大士、世に出でて、
悉能摧破有無見
しつのうざいはーうーむーけーん
悉く能く有無の見を摧破し、
宣説大乗無上法
せんぜつだいじょうむーじょうほーう
大乗無上の法を宣説し、
証歓喜地生安楽
しょうかんぎーじーしょうあんらーく
歓喜地を証して安楽に生ぜん」と。
顕示難行陸路苦
けんじーなんぎょうろくろーくー
難行の陸路の苦しきことを顕示し、
信楽易行水道楽
しんぎょういーぎょうしいどうらーく
易行の水道の楽しきことを信楽せしめたまう。
憶念弥陀仏本願
おくねんみーだーぶつほんがーん
「弥陀仏の本願を憶念すれば、
自然即時入必定
じーねーんそーくじーにゅうひつじょう
自然に即の時必定に入る、
唯能常称如来号
ゆいのうじょうしょうにょーらいごーう
唯能く常に如来の号を称じて、
応報大悲弘誓恩
おうほうだーいひぐーぜいおーん
大悲弘誓の恩を報ず応し」といえり。
「天親章」-「天親菩薩造論説 - 入生死薗示応化」
天親菩薩造論説
てんじんぼーさーぞうろんせー
天親菩薩は論を造りて説かく、
帰命無碍光如来
きーみょうむーげーこうにょーらーい
「無碍光如来に帰命したてまつる」と。
依修多羅顕真実
えーしゅーたーらーけんしんじーつ
修多羅に依りて真実を顕し、
光闡横超大誓願
こうせんおうちょうだいせいがーん
横超の大誓願を光闡し、
広由本願力廻向
こうゆほんがんりきえーこう
広く本願力の廻向に由りて、
為度群生彰一心
いーどーぐんじょうしょういーっしーん
群生を度せんが為に一心を彰したまう。
帰入功徳大宝海
きーにゅうくーどくだいほうかーい
「功徳の大宝海に帰入すれば、
必獲入大会衆数
ひつぎゃくにゅうだいえーしゅーしゅー
必ず大会衆の数に入ることを獲、
得至蓮華蔵世界
とくしーれんげーぞうせーかーい
蓮華蔵世界に至ることを得れば、
即証真如法性身
そくしょうしんにょーほーっしょうしーん
即ち真如法性の身を証せしむ、
遊煩悩林現神通
ゆーぼんのうりんげんじんづう
煩悩の林に遊びて神通を現じ、
入生死薗示応化
にゅうしょうじーおんじーおーげー
生死の薗に入りて応化を示す」といえり。
「曇鸞章」-「本師曇鸞梁天子 - 諸有衆生皆普化」
本師曇鸞梁天子
ほんしーどんらんりょうてんしー
本師曇鸞は梁の天子、
常向鸞処菩薩礼
じょうこうらんしょーぼーさつらーい
常に鸞の処に向にいて「菩薩」と礼したまえり。
三蔵流支授浄教
さんぞうるーしーじゅーじょうきょーう
三蔵流支、浄教を授けしかば、
焚焼仙経帰楽邦
ぼんしょうせんぎょうきーらくほーう
仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩論註解
てんじんぼーさーろんちゅーげー
天親菩薩の論を註解して、
報土因果顕誓願
ほーどーいんがーけんせいがーん
「報土の因果は誓願なり」と顕したまう。
往還廻向由他力
おうげんえーこうゆーたーりーき
「往還の廻向は他力に由る、
正定之因唯信心
しょうじょうしーいんゆいしんじーん
正定之因は唯信心なり。
惑染凡夫信心発
わくぜんぼんぶーしんじんほー
惑染の凡夫、信心を発しぬれば、
証知生死即涅槃
しょうちしょうじそくねーはーん
生死即ち涅槃なりと証知せしむ、
必至無量光明土
ひーっしーむーりょうこうみょうどー
必ず無量光明土に至れば、
諸有衆生皆普化
しょうしゅーじょうかいふーけー
諸有の衆生、皆普く化す」といえり。
「道綽章」-「道綽決聖道難証 - 至安養界証妙果」
道綽決聖道難証
どうしゃくけっしょうどうなんしょう
道綽は聖道の証し難きことを決し、
唯明浄土可通入
ゆいみょうじょうどーかーつうにゅう
唯浄土の通入す可きことを明す。
万善自力貶懃修
まんぜんじーりきへんごんしゅー
万善の自力、懃修を貶し、
円満徳号勧専称
えんまんとくごうかんせんしょう
円満の徳号、専称を勧む。
三不三信誨慇懃
さんぷさんしんけーおんごーん
三不・三信の誨、慇懃にして、
像末法滅同悲引
ぞうまつほうめつどうひいーん
像・末・法滅同じく悲引したまう、
一生造悪値弘誓
いっしょうぞうあくちーぐーぜーい
一生悪を造れども弘誓に値いぬれば、
至安養界証妙果
しあーんにょうかーいしょうみょうかー
安養界に至りて妙果を証せしむ」といえり。
「善導章」-「善導独明仏正意 - 即証法性之常楽」
善導独明仏正意
ぜんどうどくみょうぶーっしょうーいー
善導独、仏の正意を明かにし、
矜哀定散与逆悪
こうあいじょうさんよーぎゃくあーく
定散と逆悪とを矜哀して、
光明名号顕因縁
こうみょうみょうごうけんいんねん
光明・名号の因縁を顕したまう。
開入本願大智海
かーいにゅうほんがんだーいちかーい
「本願の大智海に開入すれば、
行者正受金剛心
ぎょうじゃしょうーじゅこんごうしーん
行者正しく金剛心を受け、
慶喜一念相応後
きょうきいちねんそうおうごー
慶喜一念相応の後、
与韋提等獲三忍
よーいだいとうぎゃくさんにーん
韋提と等しく三忍を獲、
即証法性之常楽
そくしょうほっしょうしーじょうらーく
即ち法性之常楽を証せしむ」といえり。
「源信章」-「源信広開一代教 - 大悲無倦常照我」
源信広開一代教
げんしんこうかいいちだいきょう
源信広く一代の教を開きて、
偏帰安養勧一切
へんきーあんにょうかんいっさーい
偏に安養に帰して一切を勧む。
専雑執心判浅深
せんぞうしゅうしんはんせんじーん
専・雑の執心に浅・深を判じ、
報化二土正弁立
ほうけーにーどーしょうべんりゅう
報・化二土正しく弁立したまう。
極重悪人唯称仏
ごくじゅうあくにんゆいしょうぶーつ
「極重の悪人は唯仏を称すべし、
我亦在彼摂取中
がーやくざーいひせっしゅーちゅう
我も亦の彼の摂取のの中に在れども、
煩悩障眼雖不見
ぼんのうしょうげんすいふーけーん
煩悩、眼を障えて見たてまつらずと雖も、
大悲無倦常照我
だーいひむーけんじょうしょうがー
大悲倦きこと無くして常に我を照したまう」といえり。
「源空章」-「本師源空明仏教 - 必以信心為能入」
本師源空明仏教
ほんしーげんくうみょうぶっきょう
本師源空は仏教に明かにして、
憐愍善悪凡夫人
れんみんぜんまくぼんぶーにーん
善・悪の凡夫人を憐愍し、
真宗教証興片州
しんしゅうきょうしょうこうへんしゅう
真宗の教・証を片州に興し、
選択本願弘悪世
せんじゃくほんがんぐーあくせー
選択本願を悪世に弘めたまう。
還来生死輪転家
げんらいしょうじりんてんげー
「生死輪転の家に還来することは、
決以疑情為所止
けっちーぎーじょういーしょーし
決するに疑情を以て所止と為す、
速入寂静無為楽
そくにゅうじゃくじょうむーいーらーく
速に寂静無為の楽に入ることは、
必以信心為能入
ひっちーしんじんいのうにゅう
必ず信心を以て能入と為す」といえり。
「結勧」-「弘経大士宗師等 - 唯可信斯高僧説」
弘経大士宗師等
ぐきょうだいじしゅうしとう
弘経の大士・宗師等、
拯済無辺極濁悪
じょうさいむへんごくじょくあーくー
無辺の極濁悪を拯済したまう。
道俗時衆共同心
どうぞくじしゅーぐどうしん
道・俗・時衆、共に同心に、
唯可信斯高僧説
ゆいかーしんしーこうそうせーつ
唯斯の高僧の説を信ず可し。
https://浄土真宗.jp/books/shoshinge/
般若心経との違い
自らの力によって煩悩を断ち切ろうと教える『般若心経』(自力)に対し『正信偈』は 阿弥陀如来のお力に、一切のはからいを捨てておまかせし それによって救われたことのよろこび(他力)が説かれたものです。