見出し画像

日本神話

『古事記』と『日本書紀』に記された日本神話。
上記、記紀は最古の歴史書で
日本民族の(聖書に相当する)聖典である。

聖書もクルーアンもその内容に矛盾や創作が多いが宗派の信者には現代も信じられているように、日本民族は記紀を聖典として信じているものである。
また、仏教には経典が有る。信じる者は救われる?

神世七代(かみよななよ, かみのよななよ)は、天地開闢のとき生成した七代の神の総称およびその時代をいう。一代・二代以外は夫婦神で二柱で一代

古事記
①国之常立神(くにのとこたちのかみ)独神
②豊雲野神(とよぐもぬのかみ)独神
③宇比地邇神(うひぢにのかみ)男神
③須比智邇神(すひぢにのかみ)女神
④角杙神(つぬぐいのかみ)男神
④活杙神(いくぐいのかみ)女神
⑤意富斗能地神(おおとのぢのかみ)男神
⑤大斗乃弁神(おおとのべのかみ)女神
⑥淤母陀琉神(おもだるのかみ)男神
⑥阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)女神
⑦伊邪那岐神(いざなぎのかみ)男神
⑦伊邪那美神(いざなみのかみ)女神

神世の七代目
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が伊邪那美命(いざなみのみこと)の居る黄泉の国から生還し、黄泉の穢れを洗い流した際、左目を洗ったときに化生したとしている。このとき右目から生まれた月読命(つくよみのみこと)、鼻から生まれた建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)と共に、
三貴子(みはしらのうずのみこ)と呼ばれる。
このとき伊邪那岐命は天照大御神に高天原(たかあまのはら)を治めるように指示した。

三貴子
天照大御神 - イザナキの左目から生まれたとされる女神。太陽神。
月読命 - イザナキの右目から生まれたとされる神。夜を統べる月神。
須佐之男命 - イザナキの鼻から生まれたとされる男神。海原の神。

三貴子のうち天照大御神は天(高天原)であるが、月読命は天、滄海原(あおのうなばら)または夜の食国(よるのおすくに)を、須佐之男命には海原または天下を治めるように言われた。
須佐之男命はそれを断り、母神イザナミのいる根の国に行きたいと願い、イザナギの怒りを買って追放されてしまう。

天照大御神と須佐之男命の誓約(うけひ)
追放された須佐之男命は出雲と伯耆の堺近辺の根の国へ向う前に、姉の天照大御神に別れの挨拶をしようと高天原へ上るが、天照大御神は須佐之男命が攻め入って来たのではと思い武装して応対する。
スサノオは疑いを解くために誓約(うけひ)を行った。

天照大御神の物実から生まれた天照大御神の子
●正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと 天忍穂耳命)
●天之菩卑能命(あめのほひのみこと 天穂日命)
●天津日子根命(あまつひこねのみこと 天津彦根命)
●活津日子根命(いくつひこねのみこと 活津彦根命)
●熊野久須毘命(くまのくすびのみこと 熊野櫲樟日命)

須佐之男命の子
●多紀理毘売命(たきりびめ 奥津島比売命)
●市寸島比売命(いちきしまひめ 狭依毘売命)
●多岐都比売命(たぎつひめ)

我の潔白が誓約によって証明されたとしたが、勝ったに任せてと次々と粗暴を行い、天照大御神は恐れて天の岩屋に隠れてしまった。
そのため、須佐之男命は高天原を追放された(神逐)。

皇室とは、男神正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命とその子で天孫降臨をした天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命を経て、須佐之男命は男系上の先祖にあたる。

天孫降臨(てんそんこうりん)
天孫族(てんそんぞく)の邇邇芸命(ににぎのみこと)が、葦原の中津国を治めるために、高天原から筑紫の日向の襲の高千穂峰へ天降あまくだった。
邇邇芸命の天降りに、天児屋命、布刀玉命、天宇受売命、伊斯許理度売命、玉祖命の五伴緒(いつとものお神)が従う。
天孫族は、天孫降臨しヤマト王権をつくったとする古代勢力の総称。

地神五代(ちじんごだい)
天照大神・天忍穂耳尊・瓊瓊杵尊(邇邇芸命)・火折尊・鸕鶿草葺不合尊の5柱の神々およびそれらの神々の時代のこと。

天照大御神は「三種の神器」と思金神、手力男神、天石門別神を副え、「この鏡を私の御魂と思って、私を拝むように敬い祀りなさい。思金神は、祭祀を取り扱い神宮の政務を行いなさい」と言った。

『古事記』
天照大御神の命令を受けた建御雷神と天鳥船神が大国主神から国譲りを受けて葦原中国の統治権を確保する。その後に天照大御神の命により邇邇藝命は葦原中国を統治するため高天原から地上に降りたという。降臨の地については「竺紫の日向の高千穂の久士布流多気(くしふるだけ)に天降りまさしめき」と記述している。
降臨の際に猿田毘古神が現れ地上までの道案内をする。

高千穂
邇邇芸命は高天原を離れ、天の浮橋から浮島に立ち、筑紫の日向の高千穂の久士布流多気(くじふるたけ)に天降った。
邇邇芸命は「この地は韓国(からくに)に向かい、笠沙(かささ)の岬まで真の道が通じていて、朝日のよく射す国、夕日のよく照る国である。それで、ここはとても良い土地である」と言って、そこに宮殿を建てて住むことにした。

猿女君
邇邇芸命は天宇受売命に、猿田毘古神を送り届けて、その神の名を負って仕えるよう言った。

大山津見神は「私が娘二人を一緒に差し上げたのは、石長比売を妻にすれば天津神の御子(邇邇芸命)の命は岩のように永遠のものとなり、木花之佐久夜毘売を妻にすれば木の花が咲くように繁栄するだろうと誓約をしたからである。木花之佐久夜毘売だけと結婚したので、天津神の御子の命は木の花のようにはかなくなるだろう」と言った。

邇邇藝命は木花之佐久夜毘売を妻とし石長比売を追い返したため
天津神の御子の寿命は長くないのである。

木花之佐久夜毘売の出産
木花之佐久夜毘売は一夜を共にしただけで身篭った。
それを聞いた邇邇芸命は「たった一夜で身篭る筈はない。それは国津神の子だろう」と言った。

木花之佐久夜毘売は、「この子が国津神の子なら、産む時に無事ではないでしょう。天津神(邇邇芸命)の子なら、無事でしょう」と誓約をし、戸のない御殿を建ててその中に入り、産む時に御殿に火をつけた。

天津神の子であったので、無事に三柱の子を産んだ。
第一子:火照命(ホデリ=海幸彦)火が盛んに燃えた時に生んだ子
第二子:火須勢理命(ホスセリ)火が弱くなった時に生んだ子
第三子:火遠理命(ホオリ=山幸彦)火が消えた時に生んだ子

『古事記』には天照大神が孫の邇邇藝命に「この豊葦原水穂国は、汝の知らさむ国なり」とある。

『日本書紀』三大神勅
天壌無窮の神勅には「葦原千五百秋瑞穂の国は、是、吾が子孫の王たるべき地なり。爾皇孫、就でまして治らせ。行矣。宝祚の隆えまさむこと、当に天壌と窮り無けむ」とある。(漢文:葦原千五百秋之瑞穂国、是吾子孫可王之地也。宜爾皇孫就而治焉。行矣。宝祚之隆、当與天壌無窮者矣。)読みやすくする句読点付記

宝鏡奉斎の神勅には「吾が児、此の宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。與に床を同じくし、殿をひとつにし、以て斎鏡と為すべし。」(吾児、視此宝鏡、当猶視吾。可与同床共殿、以為斎鏡。)

斎庭稲穂の神勅には「吾が高天原にきこしめす斎庭の穂を以て、また吾が児にまかせまつるべし。」(以吾高天原所御斎庭之穂、亦当御於吾児。)

天照大神-天忍穂耳尊-瓊瓊杵尊-火折尊-鸕鶿草葺不合尊-神日本磐余彦火火出見尊

皇統

初代天皇(在位:神武天皇元年1月1日 - 神武天皇76年3月11日)
始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)と称され、
神武天皇(じんむてんのう)」と後に諡された。

神武天皇が創始した王朝は、「神の代」の祖先たちの系譜を引き継いでいる。

神武天皇は、天照大御神の五世孫であり、高御産巣日神の五世の外孫と『古事記』『日本書紀』に記述されている。彦波瀲武鸕鶿草葺不合命(ひこなぎさたけうがやふきあえず の みこと)と玉依姫(たまよりびめ)の第四子。

始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)、神日本磐余彦火火出見尊(かんやまといわれびこほほでみのみこと)など在位期間の長さから多くの名前がある。

金鳥

奈良盆地一帯の指導者・長髄彦らを滅ぼして奈良を征服(神武東征)
畝傍橿原宮(現在の奈良県橿原市)に遷都した。

神武天皇は、事代主神(大物主神、坐御諸山上神)の娘の比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)を正妃とし、翌年(紀元前660年)に即位して日本国を建国したと言われる。
神武天皇は、76年3月11日 橿原宮で崩御。127歳。畝傍山東北陵に葬られた。

古くは、ヤマト王権の首長を「大王」(オオキミ)といった
推古朝または天武朝ごろから中央集権国家の君主として「天皇」が用いられるようになった。

飛鳥時代から奈良時代には天皇の統治権は天照大御神の神勅に由来するという天皇口伝の神話を載せた歴史書『古事記』『日本書紀』が編纂された。

天皇の先祖について、三種の神器をもって地上に降臨した天照大御神の孫である邇邇芸命であり、その子孫が初代天皇の神武天皇であると記している。

メディアは、祖母である天照大御神の子孫と紹介していますね。

日本神話で登場する、第25代の武烈天皇までは実在が疑われているが、
第26代継体天皇は実在が確かとされている。
(在位:507年3月3日?〈継体天皇元年2月4日〉 - 531年3月10日?〈継体天皇25年2月7日〉)記紀は共に継体天皇を応神天皇の5世の子孫(来孫)と記している。

継体天皇以降の天皇は実在が学者によって確実視されている。
国家の根本聖典では実在するかどうかなど、どうでも良い話です。
そこに書かれていることを信じるべし。

聖書やクルーアンの内容を疑うとヤバいことになるよね。

645年の大化の改新
天皇中心の政治が始まり、「天皇」という称号も使用され始めた。

701年の大宝律令
律令制による中央集権制が確立した。
国号『日本』と元号・大宝が正式に定められた。

日本の家紋
華の正面や植物の断面、揚羽蝶などが古くより使われていました
最初は天皇家のみが紋章を使用していたようです。
臣下にも下賜られ、広く使用されるようになりました。
昭和の時代まで瓦屋根や玄関に家紋が使用されていました。

平成の時代に途絶えかけましたが、家紋ブームの復活で令和の新築で家紋入りの瓦屋根や表札が使われるようになったそうです。
平成時代には文化・伝統・技術・自信・誇りなど色んなものが失われましたが、
令和で復活すると良いですね。
移民の文化も良い部分は吸収してやりましょう。
野蛮な部分や遵法精神が欠如している部分は拒絶し潰しましょう。

蓮華紋の瓦
天皇家の菊花紋章
織田信長は、下賜られた五三の桐紋や五つ木瓜紋など七つを使い分けていたという

天皇は記紀に伝えられる天照大神の神勅により豊葦原千五百秋瑞穂の国の統治を任され、また皇位は皇祖の神裔により万世一系の皇統として天地と共に永遠に伝えられるとされている。
万世一系の語を初めて用いたのは岩倉具視(1867年10月議)

皇位継承における万世不変の原則
第一 皇祚を踐むは皇胤に限る
第二 皇祚を踐むは男系に限る
第三 皇祚は一系にして分󠄁裂すべからず

大日本帝国憲法第一條
大日本帝󠄁國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス

日本の皇統は永遠であり、万世一系である。

中国●千年の歴史は途切れ途切れ(途中にはユダヤ人政権もあった)
モロコシ(中国)は、なうての動乱の国でもある。…伏羲(前3308年に治世を始めたとされる伝説上最初の中国の帝王。)の時代からこれまでに三六もの王朝を数え、さまざまな筆舌に尽くしがたい動乱が起こってきた。(中国の皇帝は滅びの歴史であった)ひとりわが国においてのみ、天地の始めより今日まで、皇統は不可侵のままである。
— 北畠親房、『神皇正統記』

令和3年の「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議」に関する有識者会議を経ながら、皇位継承を巡って論争となった事もある。
反天思想家は、女系天皇を認めさせれば、天皇制は終わると考えている。

皇室制度が正式
メディアや国会が用いる「天皇制」という用語は、マルクス主義用語として日本共産党が使用を開始し、第二次世界大戦終結後は社会科学用語として定着した打倒すべき対象として作られた単語であり反政府用語であった。
1930年代に社会主義・共産主義者の講座派が使用したのが「天皇制」の語。
1945年10月20日より、讀賣報知と朝日新聞がこの共産党用語を使い始めた。
11月29日 帝国議会 貴族院で二荒芳徳や山田三良が共産党用語を使った。
1947年9月20日、片山哲内閣総理大臣(第46代)日本社会党政権時代。
(人間天皇について)「そこに新しきわが國の天皇制のあり方が示されておるのであります」と言った。

左翼が使う用語「天皇制」は間違いで、「皇室制度」が正式です。

小説家の司馬遼太郎は「天皇制という語は、えぐいことばであり、悪意がインプットされている」と述べたという。
現代人が気付かないことを教えてくれますね。

宮内庁は天皇制を用いず、現在でも「皇室制度」と呼称している。

日本国憲法第1章により、いわゆる象徴天皇制と国民主権が規定された。
象徴とは言え、大臣(首相が選んだ閣僚)を認めるのは天皇です。
天皇は新大臣に「重任、ご苦労に思います」と言われて官記を手渡す。
重任と理解していない阿呆な閣僚もいますが。

長寿祝賀の歌『君が代
9世紀にあって光孝天皇が僧正遍昭の長寿を祝って「君が八千代」としている
「君」は広く用いる言葉であって君主・天皇を指すとは限らなかった。
身近な長者など様々な者を指し示していた。

「君が代は千代に八千代に」の歌は、安土桃山時代の隆達にあっては恋の小唄

日本の国歌として『君が代』が採用された。
君が代は10世紀に紀友則、紀貫之、凡河内躬恒、壬生忠岑の4人の選者により編纂された『古今和歌集』に収録されている短歌の一つである。

国旗・国歌法
1999年(平成11年)8月13日に公布、即日施行された。
これ以前は極左学生が国旗を棄損する問題がありましたが、施行以降は違法行為となる。
国旗を棄損する馬鹿がいるとは思わなかったので、作ってなかった法律でしたが、馬鹿が現れて良かったのかも知れません。
日教組の教師などが国旗を見えない位置に立てたりもする事があるようですが、学校では国旗を掲揚して国家を歌う義務があります。

国旗・国歌法反対(反日、反天勢力)
▼民主党
菅直人、枝野幸男、前原誠司、海江田万里、生方幸夫、原口一博、辻元清美(当時は社民党)、河村たかし、土肥隆一、赤松広隆、伊藤忠治、家西悟、池田元久、池端清一、石毛鍈子、石橋大吉、岩國哲人、岩田順介、上原康助、小沢鋭仁、大畠章宏、金田誠一、北村哲男、桑原豊、小平忠正、小林守、五島正規、近藤昭一、佐々木秀典、佐藤謙一郎、坂上富男、末松義規、辻一彦、中桐伸五、中沢健次、葉山峻、鉢呂吉雄、日野市朗、肥田美代子、福岡宗也、細川律夫、松本惟子、松本龍、山元勉、山本譲司、山本孝史、横路孝弘、朝日俊弘、伊藤基隆、今井澄、江田五月、小川勝也、小川敏夫、岡崎トミ子、川橋幸子、久保亘、郡司彰、小宮山洋子、輿石東、佐藤泰介、齋藤勁、桜井充、笹野貞子、高嶋良充、竹村泰子、谷林正昭、千葉景子、角田義一、福山哲郎、堀利和、前川忠夫、松崎俊久、円より子、峰崎直樹、本岡昭次、簗瀬進、山下八洲夫、藁科滿治
▼日本共産党
▼社会民主党・市民連合(土井たか子、村山富市、福島瑞穂、横光克彦、田英夫ら)、日教組
スパイ政党だった日本社会党は潰れて、社民党と民主党に分裂しました。
現在、民主党は立民になってますね。

アカ

我が君は 千代にやちよに さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで

紀元節
来年(西暦2025年)は、皇紀二千六百八十五年にあたります。
令和七年二月十一日は建国記念日です。
十五年後には紀元二千七百年奉祝紀元節大祭 – 橿原神宮

移民も日本に住むなら、覚えましょう。

いいなと思ったら応援しよう!