神隠しや狐憑き
八百万の神(やおよろずのかみ)
神道における神とは、自然現象などの信仰や畏怖の対象である。
「八百万の神」と言う場合の「八百万」は、数が多いことの例えである。
すべてのものに神宿る自然崇拝。中国から仏教や漢字が伝わる遥か前より日本にあった信仰心。
古神道
古神道では、「場の様相」の変わる山海や森林や河川や大木・巨岩の先にある現実世界と異なる世界や神域を常世(とこよ)という。
『日本書紀』の天照大神から倭姫命への神託では、伊勢を常世の浪の重浪の帰する国(「常世之浪重浪歸國」)とある。
紫式部 著『源氏物語』
第12帖「須磨」
・心から常世を捨てて鳴く雁を雲のよそにも思ひけるかな
・常世出でて旅の空なるかりがねも列に遅れぬほどぞなぐさむ
・あかりなくにかりの常世を立ち別れ花の都に道やまどはむ
第41帖「幻」
・なくなくも帰りにしかな仮の世はいづこもつひの常世ならぬに
縄文時代以前から、日本の神や霊魂の存在が信じられており、神奈備(かむなび)や神籬(ひもろぎ)や磐座(いわくら)・磐境(いわさか)は、神域(常世・幽世)と現世(うつしよ、人の生きる現実世界)の端境と考えられており、禍福をもたらす神霊が、簡単に行き来できないように、「結界」としての注連縄が張られたり禁足地になっていた。
神籬の「籬」は「垣」であり磐座は「磐境」ともいい、それぞれ「端境」を示している。
神社の広葉常緑樹の垣は、その常世との端境であると同時に結界でもあり、現世と常世の様々なものが簡単に行き来し、禍や厄災を招かないようにしていて、禁足地になっている場所も多い。
神隠し
霊山や里からなんの前触れも無く人が失踪することを、神の仕業としてとらえた概念。禁足地に踏み入り神隠しに遭ったと信じられていた。
連れ去るものは、山の神や天狗・山姥・雨女・雪女・鬼・狐・隠し神などの山や原野に係わる妖怪の類などが信じられていた。
食料難事情では、老人・障害者など働けない家族が神隠しに遭う事が多い。
狐憑き(きつねつき)
狐の霊に取り憑かれたと言われる人の精神の錯乱した状態であり、臨床人狼病の症状の一種である。また、そのような事が起こり得ると信じる信仰。
有職故実に精通した当代一流の学識人であった藤原実資(賢人右府)は『小右記』長元4年8月(1031年)の条に、狐憑きについて記している。
狐を稲荷神やその使いとみなす稲荷信仰が日本では根強い。
五穀をつかさどる御食津神・ウカノミタマと稲荷神が同一視されることから、総本宮の伏見稲荷大社を含め、多くの稲荷神社ではウカノミタマを主祭神としている。
八幡社が源氏の崇敬神として広めたのに対し、
稲荷社は商売繁盛、五穀豊穣のご利益があると広めた。
稲荷社は狐なので火を嫌い、タバコを吸ったり、焚き火をすると災いをもたらす。
火の用心に通じる
鎌倉時代にできた法律「御成敗式目」の筆頭に
第1条「神社を修理して祭りを大切にすること」
第2条「寺や塔を修理して、僧侶としてのつとめを行うこと」
とあります。日本人が忘れていはいけないこと