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兵庫県の秦氏

播磨平野
旧播磨国の主要部分で、山陽道の街道筋。

瀬戸内海・播磨灘の漁場であり、『古事記』『日本書紀』『播磨国風土記』(霊亀元年(715年)前後に成立、現存は「三条西家本」の写本)にも塩田や海の幸に恵まれた地と記されるところである。
当時の日本(約60カ国)のうち、現在まとまった形で残る国宝の古風土記は、播磨・常陸・出雲・肥前・豊後だけです。
天皇に献上された風土記のうち、重要な5つの地域が写本で残されていました。
風土記の内容
・好(よ)き字を用いて郡・郷の名を記す
・銀・銅・染料・草・木・鳥・獣・虫などの物産
・土地の肥沃さ
・山・川・原・野などの地名の由来
・古老に伝承されている旧聞・異事
などについての報告書(解)
『播磨国風土記』では、欠落はあるものの意図的な改変の形跡が他の風土記と比べて少ないため、在地の伝承が比較的そのまま残されていると考えられている重要な史料である。

奈良時代の播磨国美嚢郡(明石郡)の大領は韓鍛首(おびと)という。ま た、播磨国の鍛冶に係る技術者として新羅からの渡来人である忍海(おしみ)漢人(忍海村主)がいる(「続日本紀」)。
大陸や半島からの渡来人が居住した地名が『播磨国風土記』に登場する。
姫路の近郊では朝鮮半島由来の地名、漢部郷・韓室郷・己智郷、韓泊港(現在は福泊に改名)、枚野(平野)里の新羅訓村(「新羅国」→「白国」村:現在の陸自姫路駐屯地や姫路地方競馬場の北東側、姫路城の北方で広嶺山・増位山南麓)などがある。
増位山も当初は「新羅訓山」のちに「白国山」と呼ばれたが、735年(天平7年)に行基が出井(現・伊伝居)にあった増位寺をこの山に移して835年(承和元年)に増位山随願寺の勅号を与えられてから増位山と改めたとされる。
『播磨国風土記』に豊国村の記述「豊国と号虎 くる所以は、筑紫の豊国(豊前・豊後)の神、此處に在す。 故、豊国の村と号虎く」。
豊前には“秦王国”があったといわれており、豊前の国の秦氏族が祭祀した新羅神は、田川郡香春町にある香春神社である。辛国息長大姫大目命を祭神としている。
香春岳には秦氏が銅の生産に携わった場所として知られており、弥生時代から古墳時代における青銅器に使用され ていたといわれている。

『播磨国風土記』によれば、小宅の秦君の娘と川原若狭の祖父が結婚し住んだ家を小宅と名付けたのが地名の由来であるという。

奈良の正倉院にある大宝二年(七〇二)の「豊前国戸籍台帳」によれば、その総人口の九三%ま でが秦系氏族であったといわれている。
現在の兵庫県では最多の尼崎市、神戸市長田区に次いで、姫路市は朝鮮民族の住民が3番目に多く朝鮮学校も有る。
播磨国(姫路)の中央南部には飾磨津があり国内外の船が立ち寄った。

兵庫県で最も朝鮮系住民が多い尼崎地方(摂津国河辺郡)では、豊島郡の秦上・秦下の両郷が有名である。

摂津国は、国司ではなく摂津職(しき)という特別な官司が置かれました。難波津(現在の大阪南)は奈良の都(平城京)と西日本、さらには諸外国とを瀬戸内海で結んでいた。

射楯兵主神社(いたてひょうずじんじゃ)は、兵庫県姫路市総社本町にある神社。播磨国総社は姫路城の曲輪内に有る。
・射楯大神(五十猛尊)
・兵主大神(伊和大神、大国主命)
天日槍と争った伊和大神は播磨国の国土開拓の神である。

但馬地方にも大陸系の神といわれる兵主神社が多い。
全国十八座の式内社兵主神社の内、八座が但馬地方にある。
天日槍が住んだといわれる近江地方にも兵主神社が多い。
兵主神は、大陸の山東省にみられる八主神(天主・地主・兵主・陰王・ 陽王・月主ほか)の一つとされる神であり、弓月君(秦氏の祖)が招来した神といわれている。従って、秦氏の住んだ地域に多い。

5世紀ごろに日本にやってきた渡来人が「秦氏」である。
『新撰姓氏録』によれば、応神14年(283年)に百済から日本に帰化した氏族であり、秦の始皇帝の末裔とも記述されている弓月君(融通王)が中心的人物とされる。百済は滅びた。
葛城襲津彦の支援によって日本へ渡ると、葛城氏の本拠地である葛城に住んだ。
『隋書』には、風俗が華夏(中国)と同じである秦王国なる土地が日本にあったことが紹介されている。
秦河勝は聖徳太子に使え、法隆寺を建立した人物。
播磨秦氏の拠点は播磨国赤穂郡。風土記では赤穂に関する記述は欠落している。
平城宮出土木簡に書き残されている。
表に「播磨国赤穂郡大原」
裏に「五保秦酒虫赤米五斗」

風姿花伝によると秦河勝はこの地域に移住したとされる。秦河勝を氏神として祭った神社として大避神社が兵庫県内に多数鎮座している。
八幡神社、稲荷神社も秦一族の神社とされる。

第20代天皇・安康天皇が暗殺された後の内乱の際、履中天皇と葛城之曾都毘古の孫娘・黒媛の皇子の履中天皇の長男・市辺之忍歯王(いちのへのおしはのおおきみ。皇位継承争いで先の允恭天皇の皇子で安康天皇の弟の雄略天皇に殺される)と葛城系の夷媛(はえひめ。葛城蟻臣(ありのおみ)の女、仁賢天皇の母。『播磨国風土記』は母を手白髪命とする)との間に生まれた「億計・弘計」の両皇子が播磨国に難を避けて、雄略天皇の死後、播磨地方の勢力、特に葛城 氏の支援を受けて天皇に就いている(第24代天皇・仁賢天皇)。
父を殺した雄略天皇の皇女を皇后とした仁賢天皇の時代は国中が良く治まり、人民から「天下は仁に帰し、民はその生業に安んじている」と評された。娘の手白香皇女も、傍系出身の継体天皇の皇后となった。

戦国時代から江戸時代にかけて築かれた城趾が点在する。
旧畿内の西隣になる歴史的にも要衝の地。

旧播磨国(播州)地方は、姫路平野を中心とした国でした

現在の自治体では姫路市、たつの市、高砂市、加古川市、三木市、加西市、西脇市、加東市、小野市、明石市、神戸市(西区、垂水区)、神崎郡福崎町、加古郡(稲美町・播磨町)、揖保郡太子町などの自治体が位置する。
中心は姫路市。姫路平野。
古墳が多い地域で古くから栄えていたことが分かる。

平野部以外には低山の岩山が多い地域である。(播磨アルプスなど)姫路市南東部(市川以東地域)から西脇市までのびる後期白亜紀火砕岩類。現在、播磨平野に火山は存在しない。
高砂市には竜山石採石遺跡が現存する。

姫路を中心とした播磨平野には加古川・市川・夢前川・揖保(いぼ)川など大きな河川が流れ、温暖肥沃で水利・日照に恵まれ、古くから米作地帯。特に醸造好適米「山田錦」の産地として知られる。「神に供えた糧が枯れて、かびが生えた。すなわち酒を醸さしむ」ことが播磨国風土記に記されており、日本最古の酒造の証拠とされる。

揖保川流域のたつの市では、江戸時代より全国的に知られる高級そうめん「揖保乃糸」の産地となっている。ヒガシマル醤油もある。

東部(印南野(いなみの)台地)は河岸段丘が発達し灌漑(かんがい)用の溜(た)め池が多い。加古川市は湿地帯で、レンコン畑が知られる。

瀬戸内海に属する播磨灘に面する臨海部は工業地帯となっています。

兵庫県内の朝鮮学校(学校法人兵庫朝鮮学園)
・神戸朝鮮高級学校
・神戸朝鮮初中級学校
・西播朝鮮初中級学校
・尼崎朝鮮初中級学校
・西神戸朝鮮初級学校
・伊丹朝鮮初級学校
高校の3年間朝鮮学校に通っていた在日二世で北東アジアジャーナリストの高英起は、朝鮮学校の教育について、「北朝鮮のための教育」と述べている 。朝鮮学校側は学校運営構成員の4割が韓国籍であると主張しているが、高は彼らは2003年以降に韓国籍を取得した者たちであり、彼らは韓国籍となった後も朝鮮総連との関わりから離脱していないため、実態の構成は100%朝鮮総連関係者であるだろうと述べている。更に学生数に比例して朝鮮学校に日本国民の税金が投入されても健全に使われるか疑問があると語っている。

自治体からの補助金については東京都や大阪府などが支出を停止しているが、令和3年度は全国11道府県が支出し、11道府県の総額は7275万円。うち兵庫県は全国最多の4740万円、全体の65・2%に上った。
本来ならば北朝鮮が負担すべきものである。

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