竪穴住居、高床住居、鼠と猫
更新世(こうしんせい、英:Pleistocene)は、約258万年前から約1万1700年前までを指す、第四紀の第一世にあたる地質時代。
氷期と間氷期を繰り返し総計で15回の氷期があった。
海水準が低下した時期は、現在浅い海である海域の多くが陸地となっている。
ヒト属が進化(原人ほか)
現生人類(ホモ・サピエンス種)も中期に出現。更新世の間にヒト亜族の大半が絶滅。
およそ93万年前に人類が激減するボトルネックを経験していたことがわかった。
この時期は急激な寒冷化により、人類の数は1,280人ほどにまで減っており、この絶滅寸前の状態が12万年ほど続いたようである。これは実際に人類の化石がほとんど発見されていない時代と一致する。
80万年前ほどになると、気候の回復や火の利用などにより、人口は急激に増加したとされる。
最終的に現生人類のみが生き残った。
更新世の終わり頃から、マンモスなど大型の哺乳類の絶滅が始まる(特に北米大陸で顕著だったという)。これは完新世まで続く。
ミランコビッチ・サイクル(Milankovitch cycle)とは、地球の公転軌道の離心率の周期的変化、自転軸の傾きの周期的変化、自転軸の歳差運動という3つの要因により、日射量が変動する周期である。
完新世(かんしんせい、Holocene)は、最終氷期が終わる約1万年前から現在までを指し(西暦2000年からみて1万1,700年前以降~近未来)
●気候環境が一転して地球全体が温暖化し、氷河がモレーン(堆石)を残して後退した。
●地球各地が湿潤化して森林が増加、逆に草原が減少してマンモスやトナカイなどの大型哺乳類の生息環境が縮小し、彼らを絶滅させた。
●期間が短いため大規模な大陸の移動などはないが、完新世の初期には、大陸氷床の融解によって海面が130m以上急激に上昇した。特に完新世の気候最温暖期と呼ばれる時代には、現在より3メートルから5メートルほど海水準(陸地に対する海面の相対的な高さ)が高かったとされる(縄文海進)。その後、海面は緩やかに下降し、海水準は直近の2,000年ほどは比較的安定している。
●ヤンガードリアス (Younger Dryas:YD) と呼ばれる「寒の戻り」期(約1万4000 - 1万1500年前)があった。
●8200年前にも寒冷期が認められる。
●約7300年前に南九州の鬼界カルデラが大規模な噴火をする。同時に巨大地震や巨大津波が発生した。
更新世末から完新世初めにかけて、人類の直接の祖先であるヒト(ホモ・サピエンス・サピエンス)が世界規模で拡散する。人類の生活はそれまで、遊動しながらの狩猟(漁労)採集活動生活であったが、大きな川の流域などで定住農耕牧畜生活に大きく転換した。徐々に人類が文明を築き始めたことは人類史にとって重要な変化であった。
縄文海進(1万6000年前ころ)
現在より平均気温が1–2℃高かった。
年間1~2m海水面が上がり、海水準上昇は約120mにも達した。
ピーク時である約6500年 - 約6000年前(日射量のピークだった9000年前とズレがある)
縄文時代前期(約6,000年前)頃は地球の気候が最も暖かかった時期で、現在のより平均で約2度ほど高い気温でした。
この海面上昇は、約2万年前から堆積していた沖積層より上昇が早く、最終氷期に海岸から奥深くまで河川により侵食された河・谷にはピーク時には海が入り込み大規模な内海(関東平野では香取海(現在の鬼怒川)や奥東京湾)が形成された。
それまで海の沿岸近傍に住んでいた縄文人は、海進により、河川を遡り内陸へ移住したと考えられる。
海が近い時代や、海水面が下がり海が遠くなる時代が有ったことが分かる。
魚介類を求めて漁をするために海岸に移住すると山が遠くなる。
稲作が始まると定住するようになる。
竪穴式住居(たてあなしきじゅうきょ) 現在は、“式”を省いて「竪穴住居」と呼ばれる。(2010年代に文化庁が変更)
しかし近年の日本列島における発掘調査では、工房や喪屋・馬小屋・倉庫など、居住以外の目的で使われた同建物の遺構検出事例も増加し、必ずしも用途を「住居」に限定出来ないことが判明してきた。
地表面からの深さは通常70~80センチメートルほどの半地下で、弥生時代から古墳時代前期の低湿地遺跡の集落などでは、雨対策と思われる周囲に盛りあげた周堤(しゅうてい)から床面までの深さが2メートルから2.5メートルもあった。
さらにそれらを覆う屋根や柱材などの上部構造からなる建物だった。
また周堤のさらに外側には、外周溝(がいしゅうこう、単に周溝とも)と呼ばれる幅1-2メートルほどの溝が廻る事例がある。
半地下構造上、浸水や水たまりの排水手間、ネズミや昆虫などの侵入があり半地下構造をやめる。建築技術の進化がみられ、木造住宅へ移行する。
食料を食い荒らされたため、「高床建物」(以前は高床式建物)に移行する。都では寝殿造りがみられるようになる。
建築技術が未熟な朝鮮半島では近年まで藁葺き屋根がソウルでも多かったが、建築技術が進化していた日本では瓦葺屋根は早いうちに採用される。
宮大工の登場で日本独自の接木の技術も高度に発達し、木造建築の謎解き要素(遊び心)が生まれた。
ねずみとねこ
長崎県壱岐市のカラカミ遺跡(2100年前、弥生時代)でイエネコのものとされる骨が発掘されました。
ネズミ問題の対策も兼ねて、のちに人間は性格が穏やかで少食な猫を見つけてを飼う(共生する)ようになる。
人間をネズミの害から解放した猫は、やがて日本において、富や豊かさの象徴や守り神として親しまれる存在となる。
平安時代になると、猫は貴族や皇族の愛玩動物として飼われるようになる。
近年まで猫を自由に外出させる外飼いが当たり前でした。
産まれてから寿命を迎えるまで飼い主家族と生涯を共にする日本猫もいるが、子猫から飼い慣らしても飼い主に依存すること無く自主性が高い性格から3歳くらいには家出も多く、また新しい猫を飼う事になる。
日本猫の純血種に近い猫は尻尾が短く丸い形をしている「ジャパニーズボブテイル」で、古い絵で見る日本猫の色柄は豊富でした。
鍵尻尾や細長い尻尾の猫は外来種。