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旧石器時代
更新世→完新世
更新世の文化=旧石器文化(旧石器時代)
人は、石器を利用して狩りをし、肉食だった。
3つの時代(人口は推定)
・前期旧石器時代:人類はホモ・ハビリスおよびホモ・エレクトスが主流であった。(260万〜20万年前)12万5千人
・中期旧石器時代:アジアの原人から進化した「古代型新人」によって形成された可能性が高い。(20万〜4万年前)100〜120万人
・後期旧石器時代:クロマニョン人(ホモ・サピエンス)が主流人類となる
完新世(4万〜1万3千年前)220〜300万人
その後の石器時代
・中石器時代/亜旧石器時代
・新石器時代
更新世の日本列島は大陸と陸続き。
シベリアと樺太と北海道(北方領土・千島列島も含む)は陸続きでした。
本州と北海道は津軽海峡で分断していました。
対馬までは日本列島(東北から九州まで)陸続きでした。
瀬戸内海も海水がなく草原だったようです。
対馬と朝鮮半島(当時は半島ではなく中国大陸の一部)は対馬海峡で分断されていましたが、距離が近いので筏や丸太船でも往来できたようです。
旧石器時代の大型動物=食料
北方(樺太経由):マンモス、エゾシカ、ヘラジカ
南方(中国から):ナウマンゾウ(長野県野尻湖に化石)、大角鹿
おおまかにいうと、北方はシベリア地方、南方は中国地方
人類はモンゴロイド、北方狩猟民といった放浪の民
テント住まいで狩猟や採取をしながら移動していた。
化石人骨:古い方から 猿人→原人→旧人→新人
日本列島では新人の化石人骨が見つかった
①港川人骨(沖縄県):ほぼ全身の人骨
②浜北人骨(静岡県):
③山下人骨(沖縄県):洞窟で発見
日本における旧石器時代は、後期については、北は北海道から南は九州にかけて5000カ所を超える遺跡が確認される。前期/中期についても、数こそ少ないがいくつか確認されている。
1949年、相沢忠洋(あいざわただひろ)氏が関東ローム層(赤土層)にある群馬県の岩宿遺跡(いわじゅく)で見つけました。
1949年以前の日本史では石器時代は無いと考えられていましたが、日本史が書き換えられました。
旧石器時代とは今から約3万8千年前から1万6千年前の約2万2千年間をいいます。
石器の進化
旧石器時代に使われた打製石器
石と石を打ち合わせて作った物なのでこの名がつけられている。
石斧 (せきふ:ハンドアックス)は打撃用。
大型動物にダメージを与えるために打ち下ろして使いました。
石刃 (せきじん:ブレイド)は切断用。
肉を切るなどの目的で使われていました。
尖頭器 (せんとうき:ポイント)は刺突用。
槍のように「突いて」使いました。
細石器 (さいせっき:マイクロリス)は木の先っぽにはめ込んで使いました。
ぎざぎざに尖らせることで、強力な武器として使うことができました。
石器の出現により狩猟のみならず農耕も始まります。
しかし、種や収穫物を入れて保管する土器の出現は縄文時代になってからです。石器時代に土器やアクセサリ類は有りません。
後期旧石器時代には釣り針も動物の骨を削って造られており、人々は釣りをしていたことが判明した。
捏造事件
旧石器時代の遺構は火山灰層の年代のみに頼りがちであった。
2000年(平成12年)11月5日掲載の捏造事件
1975年に結成された宮城県の旧石器研究グループ「石器文化談話会」と接触があったアマチュア考古学研究家の藤村新一が事前に埋設しておいた石器を自ら掘り出すことで発見したように見せていた自作自演の捏造であることが発覚(毎日新聞のスクープ記事:宮城県の上高森遺跡および北海道の総進不動坂遺跡での自作自演)する。
芹沢長介東北大学教授の門下生・岡村道雄をリーダーとした考古学者らと学生、考古学愛好者からなる発掘チームであった。
藤村は、1992年に設立された民間研究団体「東北旧石器文化研究所」の副理事長を務めていた。(宮城県知事より特定非営利活動法人として2000年に認証)
理事長は、臨済宗妙心寺派不磷寺15代4世住職・鎌田俊明
指導者は、梶原洋(芹沢長介東北大学教授の門下生。東北福祉大学教育学部教育学科教授)
2004年1月に解散することとなる。
町興しや観光につなげたい地元関係者が利用した「神の手」は自作自演の捏造だった。
国の史跡に指定されていた座散乱木遺跡は史跡指定を解除された。
上高森遺跡をはじめ、馬場壇A遺跡・高森遺跡など、多くの遺跡が旧石器時代の埋蔵文化財包蔵地(遺跡)としての認定・登録を取り消された。
中学校・高等学校の歴史教科書はもとより大学入試にも影響が及んだ日本考古学界最大の不祥事となる。
藤村は1970年代半ばから各地の遺跡で捏造による「旧石器発見」を続けていたが、捏造が広範囲にわたって行われていたため、事態を重く見た日本考古学協会は藤村を退会処分とした。
中国、韓国、北朝鮮といった歴史教科書問題で日本と対立している国々は、「日本人が歴史を歪曲しているのが証明された」「一研究家だけの問題ではなく、日本人の歴史認識そのものに原因がある」と大々的に報道した。
それは世界中で報じられ日本人学者の信用と評価が一時下がることとなる。
2001年、週刊文春が大分県の聖嶽洞穴についても捏造の疑いありと3度にわたって誌面で展開し、この影響で抗議電話やインターネット上での中傷を受けていた発掘責任者であった賀川光夫が文春に対し、抗議の自殺をする事態が発生した。
文春側の捏造記事だった
文藝春秋編集長・木俣正剛と取材記者・河﨑貴一が記事を捏造
これも反日国で大きく報じられ、世界にも伝わった。
この後、賀川の遺族は「週刊文春の連載記事で故人の名誉が深く傷つけられた」として、 発行元の文藝春秋と同誌編集長らを相手取り、 謝罪広告の掲載と総額5500万円の損害賠償を求める訴えを起こした。
裁判では文春側の取材体制のずさんさが多く指摘され、大分地裁(2003年5月15日)、福岡高裁(2004年2月23日)とで相次いで文春側が敗訴。
最高裁も文藝春秋の上告を棄却(2004年7月15日)し、遺族に対し慰謝料920万円の支払いと、誌面での謝罪広告の掲載を命じた。
同年9月2日号の週刊文春誌面において「代表取締役上野徹 前編集長木俣正剛 取材記者河﨑貴一」の連名の謝罪文が掲載された。
日本考古学協会は、2004年12月1日発行の会報の中で、聖嶽遺跡問題に関する総括を発表している。
世界に発信した韓国などの反日国は、その後、訂正記事を書かずに放置した。
縄文時代以降には捏造はない
縄文時代以降では明確な遺構が地下を掘削して造られており、土の性格から直ちに真偽が判断可能なため、捏造は不可能である。
日本の時代区分
・ 原始・古代:平安時代の途中くらいまで
・ 中世:鎌倉時代・室町時代が中心
・ 近世 :江戸時代が中心
・ 近代 :明治時代~昭和の戦前が中心
・ 現代 :昭和の戦後