印南野

兵庫県南部「播磨国」にあった原野。
現在の加古川、明石川の二流域にまたがる。
歌枕としては加古川以東をさし、「続日本紀」では放牧場として見える。
いなびの >いんなみの
兵庫県中南部、旧加古郡一帯の台地。明美台地ともいう。
東は明石川、西は加古川およびその支流美嚢 (みの) 川(北部)に囲まれた三角状の台地。
末端は明石原人やマンモス化石の発見で有名になった比高約 10mの明石累層の海食崖で、
南は播磨灘を望む、東西20キロメートル、南北15キロメートルの地域である。
神出町東の雌岡 (めこ) 山 (249m) 、雄岡 (おっこ) 山 (241m) などの秩父古生層の小丘のある西方の高位段丘面と、播磨灘沿岸に分布する中位段丘面とに分れる海成段丘面。

播磨町や姫路市本郷の大中遺跡ほか弥生時代、古墳時代の遺跡・石碑が多い。姫路城の石垣には古墳の石棺が利用されている部分がある。

平安時代には禁野(きんや)であった。
低位の大久保台地と岩岡、母里、加古の高位台地に区分されるが、台地のまわりを流れる河川と急崖で隔てられているため水利条件が悪く、江戸時代はワタ作を主としたが、明治前期に衰退した。
1915年(大正4)の淡河(おうご)川・山田川疎水(そすい)の完成で水田化がすすんだ。
大小無数の溜池(ためいけ)景観はみごとである。
最高時(1940年代)に溜池の数は大小合わせて130余といわれ、その面積は旧加古新村の例では耕地面積の25%以上を占めた。

日本最大の灌漑用ため池密集地域で、県下の穀倉地帯の1つ。
純国産デュラム小麦発祥の地として加古川の麦「セトデュール」が知名度を上げつつある。
純国産「加古川パスタ」ブランドでの出荷も行われている。
乾麺はオーマイ加古川工場、生パスタは姫路のパスタソリーゾ(小川農園)で製造しています。

印南郡は、現明石市・稲美町・播磨町・加古川市・高砂市・姫路市東端の大塩町にまたがる地域に有った。

縮小と分断
印南郡は明石市、加古川市、高砂市、姫路市に分断した。
大塩4か村と小林は姫路市へ編入し、北浜と牛谷は高砂市に編入して大塩天満宮の氏子が分断された。
万葉集にも現れる、日笠山にある高砂市の貯水池から姫路市に編入した大塩町に行く水道を高砂市の職員が破壊し逮捕され裁判にかけられて高砂市は敗訴している。
姫路藩時代には、高砂神社まで姫路城の支城であった事から、姫路市から編入を持ちかけられた。
姫路藩の剣術指南役として宮本武蔵が滞在したが、武蔵の出生地は高砂市とされる。
住民投票の結果、高砂市は断ったが、現在、財政難に苦しんでおり下水道工事も予算不足といった有様である。
大塩天満宮の氏子で開催する秋祭りは姫路市の町と高砂市の町に分断された状態で一緒に開催している。
印南郡当時は、近い大塩中学校の校区だった北浜地域は高砂市の遠くて山越えする鹿島中学校へ通う事になった。

海辺を古代の山陽道が通る畿内(きない)から中国地方への東西の交通の要所でした。
畿内の西の玄関口であり、『播磨国風土記(ふどき)』には印南野、『万葉集』には印南野、稲見野、稲日野(いなびの)として詠まれている。

万葉集
日本最古の歌集「万葉集」。
兵庫県加古郡稲美町は、古来より万葉集に詠まれた印南野(いなみの)に位置している場所です。
稲美町には、当時の印南野と瀬戸内海をイメージして造られた日本庭園「いなみ野万葉の森」があり、万葉植物や歌碑が展示されています。

以下出典元:万葉集ナビ(より一部抽出)

巻: 第1巻
歌番号: 13番歌
作者: 天智天皇(中大兄)
題詞: 中大兄[近江宮御宇天皇]<三山歌>
原文: 高山波 雲根火雄男志等 耳梨與 相諍競伎 神代従 如此尓有良之 古昔母 然尓有許曽 虚蝉毛 嬬乎 相<挌>良思吉
訓読: 香具山は 畝傍を愛しと 耳成と 相争ひき 神代より かくにあるらし 古も しかにあれこそ うつせみも 妻を争ふらしき
かな: かぐやまは うねびををしと みみなしと あひあらそひき かむよより かくにあるらし いにしへも しかにあれこそ うつせみも つまを あらそふらしき
訳: 香具山は畝傍山を愛しいと、耳成山と相争ってきた。神代からこうであったらしいし、いにしえの昔からもそうであった。なので、今でも妻を争っているらしいではないか。

巻: 第1巻
歌番号: 14番歌
作者: 天智天皇(中大兄)
題詞 : (中大兄[近江宮御宇天皇]<三山歌>)反歌
原文: 高山与 耳梨山与 相之時 立見尓来之 伊奈美國波良
訓読: 香具山と耳成山と闘ひし時立ちて見に来し印南国原
かな: かぐやまと みみなしやまと あひしとき たちてみにこし いなみくにはら
訳: 香具山と耳成山が印南国原で闘ったとき、立って見に来た大神がいる。

巻: 第1巻
歌番号: 15番歌
作者 : 天智天皇(中大兄)
題詞 : ((中大兄[近江宮御宇天皇]<三山歌>)反歌)
原文: 渡津海乃 豊旗雲尓 伊理比<紗>之 今夜乃月夜 清明己曽
訓読: 海神の豊旗雲に入日さし今夜の月夜さやけくありこそ
かな: わたつみの とよはたくもに いりひさし こよひのつくよ さやけくありこそ
訳: 遙か沖合の豊旗雲に入日が射し、今夜の月はさぞかし清らかな光を放つだろう。

巻: 第3巻
歌番号: 253番歌
作者: 柿本人麻呂
題詞 :(柿本朝臣人麻呂覊旅歌八首)
原文: 稲日野毛 去過勝尓 思有者 心戀敷 可古能嶋所見 [一云 湖見]
訓読: 稲日野も行き過ぎかてに思へれば心恋しき加古の島見ゆ [一云 水門見ゆ]
かな: いなびのも ゆきすぎかてに おもへれば こころこほしき かこのしまみゆ [みなとみゆ]
訳: 稲日野も過ぎ去りがたく思われ、あの懐かしい加古の島が見える。

巻: 第3巻
歌番号: 303番歌
作者: 柿本人麻呂
題詞: 柿本朝臣人麻呂下筑紫國時海路作歌二首
原文: 名細寸 稲見乃海之 奥津浪 千重尓隠奴 山跡嶋根者
訓読: 名ぐはしき印南の海の沖つ波千重に隠りぬ大和島根は
かな: なぐはしき いなみのうみの おきつなみ ちへにかくりぬ やまとしまねは
訳: その名も美しい印南の海の沖の波が幾重にも重なって、とうとう故郷大和の山々も見えなくなってしまった。

巻: 第6巻
歌番号: 940番歌
作者: 山部赤人
題詞 :((山部宿祢赤人作歌一首[并短歌])反歌三首)
原文: 不欲見野乃 淺茅押靡 左宿夜之 氣長<在>者 家之小篠生
訓読: 印南野の浅茅押しなべさ寝る夜の日長くしあれば家し偲はゆ
かな: いなみのの あさぢおしなべ さぬるよの けながくしあれば いへししのはゆ
訳: 印南野の浅茅を押し倒して寝る夜が幾日も重なり、自分の家のことがしのばれる。

巻: 第7巻
歌番号: 1178番歌
作者: 作者不詳
題詞: (覊旅作)
原文: 印南野者 徃過奴良之 天傳 日笠浦 波立見 [一云 思賀麻江者 許藝須疑奴良思]
訓読: 印南野は行き過ぎぬらし天伝ふ日笠の浦に波立てり見ゆ [一云 飾磨江は漕ぎ過ぎぬらし]
かな: いなみのは ゆきすぎぬらし あまづたふ ひかさのうらに なみたてりみゆ [しかまえは こぎすぎぬらし]
訳: 印南野は通り過ぎたようだ。日笠の浦が波だっているのが見える。

巻: 第7巻
歌番号: 1179番歌
作者: 作者不詳
題詞 :(覊旅作)
原文: 家尓之弖 吾者将戀名 印南野乃 淺茅之上尓 照之月夜乎
訓読: 家にして我れは恋ひむな印南野の浅茅が上に照りし月夜を
かな: いへにして あれはこひむな いなみのの あさぢがうへに てりしつくよを
訳: 茅菅(ちがや)の上にこうこうと照っていた印南野の月夜、家に帰ってからも恋しく思うことだろうな。

巻: 第7巻
歌番号: 1189番歌
作者: 作者不詳
題詞: (覊旅作)
原文: 大海尓 荒莫吹 四長鳥 居名之湖尓 舟泊左右手
訓読: 大海にあらしな吹きそしなが鳥猪名の港に舟泊つるまで
かな: おほうみに あらしなふきそ しながどり ゐなのみなとに ふねはつるまで
訳: 大海よ嵐を起こすな、猪名の港に舟が着くまで。

巻: 第9巻
歌番号: 1772番歌
作者: 阿倍大夫
題詞: 大神大夫任筑紫國時阿倍大夫作歌一首
原文: 於久礼居而 吾者哉将戀 稲見野乃 秋芽子見都津 去奈武子故尓
訓読: 後れ居て我れはや恋ひむ印南野の秋萩見つつ去なむ子故に
かな: おくれゐて あれはやこひむ いなみのの あきはぎみつつ いなむこゆゑに
訳: 後に残された私は恋しくてたまらない。印南野に咲く秋の萩を見ながら去っていった子のことを思うと。

巻: 第15巻
歌番号: 3596番歌
作者: 作者不詳
題詞: (遣新羅使人等悲別贈答及海路慟情陳思并當所誦之古歌)
原文: 和伎母故我 可多美尓見牟乎 印南都麻 之良奈美多加弥 与曽尓可母美牟
訓読: 我妹子が形見に見むを印南都麻白波高み外にかも見む
かな: わぎもこが かたみにみむを いなみつま しらなみたかみ よそにかもみむ
訳: 彼女の形見と思って印南都麻(いなみつま)の方向を見ようとしたが、白波が高く、視界の外にしか見えない。

巻: 第20巻
歌番号: 4301番歌
作者: 安宿王(あすかべおう)
題詞: 七日天皇太上天皇皇大后<在>於東常宮南大殿肆宴歌一首
原文: 伊奈美野乃 安可良我之波々 等伎波安礼騰 伎美乎安我毛布 登伎波佐祢奈之
訓読 印南野の赤ら柏は時はあれど君を我が思ふ時はさねなし
かな: いなみのの あからがしはは ときはあれど きみをあがもふ ときはさねなし
訳: 印南野(いなみの)アカラガシワは時節がありますが、大君をお慕いする気持ちには時節などございません。


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