クリアリテイワールド
だんだん人の死に慣れてる自分がいる気がする。
最初に人の死を覚えてるのは、小学校2年生の時。
したのかいに住んでた。おばあちゃんが死んだこと。
その時は死ってものがワラがなくて泣いた。もう会えないって思ったら泣いた。
そこから親とか友達とかが死んだらって思ったら泣いた。
そんな過去もあった。
次に死を感じたのは、中学2年、おじいちゃんが死んだ。
うちは親戚関係はうまくいっておらず、しばらく会ってなかった。
だから周りが泣いてた。うまくいってないのに親は泣いてた。お姉ちゃんも泣いてた。ここで泣いてなかったのは僕と兄だけだった。
ここで少しはないとこって思って最近柔道の試合で泣いたことを思い出して少しだけ泣いた。
次に死を感じたのは専門学校の時おばあちゃんが死んだ。
おばあちゃんとは一緒に住んでたとはいえ、老人施設に入っていたり93まで生きてたらなんも思わなかった。
ただ、時折夢に出てくる。まだ、生きてるんだなって錯覚するけど死んでいる。
特に悲しいとかはなかった。また兄と僕だけは泣かなかった。
次は会社員時代だ。
会社員時代9人と少ない場所で働いてた。
働いて2ヶ月で先輩が死んだ。
過労死だった。半年間も無休で働いてた。
この時は泣いた。自分もここにいたらこうなるんじゃないかって恐怖感で。
次に死を感じたのはばーあちゃんだった。
これが22の時。この時家が嫌で友達の家を転々としてた。
久しぶりにみた家族はやはり泣いてた。
やはり僕と兄だけ泣かなかった。
そして、次の死は僕がお世話になっていたイベントスペースの野菜交流会をやってくださって方。
僕とかに気にかけてくれ野菜など賄いなどをくれた。
その時は何か不思議となくってより虚しさと懐かしさがあった。
出会って一年ぐらいしかも相手は急にお亡くなりになったのになぜ懐かしく感じたのだろう?
次に死を感じたのは高校の同級生だ。
このことは普通に仲良いわけではない。
ただ、帰る場所が同じ方向でみんなで帰ったりとかするぐらいの関係。
一対一では絶対遊ばなかった。
23歳という若さで死んだ彼をみて、同い年が死ぬってのを体験した。
若い。ただ、生きて欲しいという感情が出てきた。
この時も涙は出なかった。
段々と死に慣れていく自分が怖い。
このまま涙が自分のためではなく他人の為に流せる人になりたいって感じておる
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