室原、ついに実家の病院での初出勤!20年くらいため込んだ感情に再会@離島・へき地で未来の医療体験記
こんばんわ、先日またしても5歳の長女に論破された室原です。
#長女が無意識に 「場合分け」を使って論じてきたw
さて、昨日手打診療所の勤務を終了して思っていたことを書かせて頂きましたが、うって変わって本日はついに室原が実家の病院の入社式に参加して初勤務をさせてもらった心境を書かせて頂きます!
「医者辞める辞める詐欺」みたいになっていますが、詐欺ではないのですが室原は4月から月に1週間実家の病院で働かせてもらうことになりました。
理由は様々ありましたが、この話を条件に室原医者一旦辞める案件は無事成就したのです!
そして今日の室原の心境はというと、、、全く整理がついておりません(笑)
入社式に行くくせに革靴だけ持って島にスーツを忘れて親父に借り、当日病院に入ってからも忘れものとかで何回も車に取りに戻り、挙句の果てにはヒゲも剃り忘れ「ネームカード用に顔写真獲りますよ」と言われてから「ちょっとヒゲそりに行ってきてもいいですか?」という始末(苦笑) 完全にマスクに油断してた(笑) ポンコツ(笑)
あまりのポンコツさに我ながら笑ってしまいましたが、ここまで錯乱状態だった理由を説明するには、室原の人生をさかのぼって書かなきゃな気がするのです。。
室原は祖父から始まる短めの医者家系の長男に生まれました。小学校・中学校と育つにつれ、変な言い方ですが我が家が裕福な家庭ということを意識するようになりました。周りから「ぼんぼん、ほまちゃん!w」と言われることもあり、思春期の頃はこの「裕福な家庭」が自分にとっては割としんどかった思い出があります。
#今では自分で 「まあ、ぼんぼんだからね」といっちゃうけど(笑)
#「ぼんぼん、ほまちゃん!w」と言ってた奴らはみな幼馴染み
#こいつらのせいで1年中ビーサンを履いてる気がする (笑) 今はみんな仲良し
そんなこんなで室原は「裕福な家庭」にわりと劣等感を抱いて育ちました。今は自分で稼げるようになったからか、熊本を離れていたからか、そんな劣等感も消え去っていました。ずっと空き家だった古民家を買ったときも、普段ボロクソに言われても特に気にならなくなっていました(笑)。でも、なんとなく「室原家」に入るとその時の劣等感というか周りからどう見られてるんだろうという思いが顔をのぞかせてきます。
『「ぼっちゃんが帰って来たぞ(ニヤニヤ)!」とか思われないかな?周りは自分をどういう目で見るんだろう?』とか自分の心を写した虚像の声が聞こえてきます。きっとそんな虚像の声を無意識に押し殺そうとして心がふわふわしてたんだろうなと思います。
#思いっきり大人げない言い訳です
#素直にごめんなさい
でも実際は、みんなそんなに性格悪くないってことは分かってるんです。正直ぼっちゃんが帰ってきても来なくても割とどっちでも良いってこともわかってるんです。実際、室原の初期研修病院も一族経営でしたが、経営陣の世継ぎ問題には全く興味がありませんでした。完全に自分の心の問題です。これはきっとすぐには治らないし、積極的に話をして自分のことを知ってもらい、相手のことを知ることでしか解決しないんだと思います。実際室原は、ぼんぼんの世間知らずの甘ちゃんなので嘘じゃないし(笑) 月に1週間働かせてもらうとか完全に病院に甘えてるし。病院は室原会だけど、室原家の病院じゃなくてみんなの病院だし。何かしら病院に貢献できる方法を考えないとなと思う1日でもありました。
今日は改めて自分の心の弱さを感じることが出来た日でした。この感情とも久々の再開です。今日のことは今日書かなきゃいけないと思い連日になりましたが書き記します。今度室原がやたらふわふわしてたら優しくハグしてくれたら泣いて喜ぶと思うのでよろしくお願いします(笑) 色んなことにチャレンジする1年だけど、全部楽しく頑張ります!