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人と関わる職種は、「学びあい」ということ

助産学生になって半年。課題に追われる毎日ながらも助産の勉強や女性の一生に関わる勉強が楽しくて、本当に助産の学校に進んでよかったなあと思う毎日です。大変だけどね。

特に面白いのは、女性の一生に関する講義かな。DV、性暴力、避妊方法を指導する受胎調節とか。わたしの研究テーマにしてるから面白いと感じるのかも。

私は、大学生の時にボランティアサークルでお年寄りやお母さんたちに健康教育をする機会があって、何度か参加して、思うことがありまして。

いつも相手から「子どもを産んだこともないくせに」、「たった20年しか生きていないのに」と思われて、健康教育をしたり、看護者として関わったりするのが怖い時期があったのです。(実際にそのようなことを言われた経験はない。)

確かに看護者の伝え方によっては、そうも言いたくなるよなあ、、と私でも思う。医療者に対してじゃないけど、偉そうに言ってくる人に対しては、私も私の状況を知らないで何を言っているの?と思うこともある。

だから、公衆衛生看護学実習といって4年生の実習中、両親学級で沐浴指導をすることになった時もまた、その問題に直面したんだよね。

「赤ちゃんを育てたこともないくせに」、「子どもを産んでもないのに」

そんなことは全く言われたことがないけど、指導案を考える時に、こんな悩みがぐるぐると頭の中を回ってた。そのことを担当教員の教授に相談すると、こんな答えが返ってきた。

「それは、あなたがどこかで相手と対等な関係ではないと思っているからではないかな?もちろん出産・育児を経験していない。だからこそ、お母さんから出産・育児の実際を学ばせてもらって、あなたは勉強した専門的な知識を伝えるっていうような相互に与え合うことが大切なんだよ。」

だから、自信を持っていいってことだった。
私は、一度も私の方が上だと思って関わったことはなかったが、相手(患者)の経験から学ばせてもらって、私は自分の勉強したことを伝えることが、相手との情報交換ができるというか。それが看護職として「対等な立場」なんだなあと思った。そのために私は勉強していて、自信を持って良いことなんだ。

これは、今、妊産婦さんと関わる上で大事にしたいマインドになっている。

この言葉はね、助産師だけじゃなくて看護師、教師、保育士などなど人と関わるのであれば、誰でも共通するところがあるんじゃないかと思うのですよ。

看護師も患者から「あなたは病気じゃないから私の気持ちなんか分からないよ」という言葉をかけられることもあると聞く。でも、患者の気持ちをわかるために看護師自身が病気になるわけにもいかないよね。

教師も保育士も「結婚していなければ」「同じくらいの子どもがいなければ」成り立たない仕事なのでしょうか?

立派な助産師、看護師、教師、保育士になれないのでしょうか。子どもがいなければ、結婚していなければ、同じ病気でなければいけないのでしょうか。

私は、そうではないと思う。今まで出会ってきた素敵だなと思う人は、結婚していなくても生徒のことを良く見守ってくれている先生だったし、いつも私の味方だったのは男性の保育士だった。

まあ、当事者になるとわかることも多いと思う。助産師の場合、自分が当事者になると、自分が困ったことは明確になる。しかし、それは、あくまで主観なのだ。主観は時に「自分がこうだから、こんなはず」に陥ることがある。
そういう意味では、当事者でないことは、みんな平等に見れるから良いのかも。
どの人も同じように大切にしたいと思える。

当事者って、いくら経験していても当事者ってだけで、素人で。やっぱりそこにはしっかりとその学問を学んだプロの視点が求められる。それは、ただの一意見じゃなくて、重要な一意見となると思っている。だから、あらゆる専門職種は任されるんだと思う。

「素人じゃない人の意見を聴ける」のは、相手にとって重要な道標となるはず。

そして、その重要な一意見を言うためには、教科書だけの勉強じゃなくて、色んな人に出会う必要があって、その人から学ばせてもらっていることに感謝し、尊重することが大切だ。

特に新人助産師として働く中で高齢出産が増えている現代の日本では、ほとんどが年上の妊産婦さんとその家族たちだろう。

経験はないけど、私はしっかりと専門的な知識を持ってることには自信を持ちたいし、かつ、相手とのかかわりの中で学ばせてもらっているという感謝をもってこれからの実習や臨床に挑んでいきたい。そして、多くの人を安心させられるような助産師になりたい。


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