母と紙箱と僕たちの遺伝子
僕は紙の箱が好きだ。
正確に言うと、使い終わった紙の箱をバラすというか、開いていって一枚の厚紙の状態にのばして、眺めるのが好きだ。
しかも、好きな紙箱に明確な基準がある。
① 糊付けしてある部分がなく、厚紙を折り曲げるだけで作られていること。
② 何枚かの紙を組み合わせるのではなく、1枚の厚紙でできていること。
紙箱を開いてみて、どこも糊付けしてなくて、1枚の厚紙だけを折り曲げてできた箱だったと分かると、
「おお~」
と嬉しくなる。
そういう紙箱を美しいと感じる感覚が、僕にはあるらしい。
ところが最近、実は僕の母も全く同じ感性を持っていると知った。
母も紙箱を開いてみて、どこも糊付けされていない1枚の厚紙でできた箱だと分かると、満足するらしい。
これには、ちょっと驚いてしまった。
そして、生物学の専門家の端くれとして、軽い絶望感を覚える。
母と僕は、どんな紙箱を美しいと思うかについて話し合ったことなど一度もない。だからこの感性は、母から僕に遺伝したんだろう。だけど、ゲノムをどこまで分析していったところで、
「どこも糊付けせず、1枚の厚紙を折り曲げただけで作られた紙箱を開いてみて、美しいと感じる感性。」
などというものが一体どうやって遺伝するのか、解明できそうな気が全くしないのだ。
例えていうなら、自分ひとりで土を盛り上げて富士山より高い山を作りなさい、と言われているような感じだ。
この感じは、忘れないでおこうと思う。