学生にとって研究は「仕事」?

僕が大学院のラボに入ったばかりの頃(もう20年も前だ)、ラボの先輩たちが研究を「仕事」と呼ぶのが印象的だった。

例えば朝、ラボに来て、
「さぁて、今日も仕事しよっかなー」
と言いながら実験に取りかかったりするのだ。

あと、誰かの研究成果について話す時に、
「彼の仕事は…」
なんて言ったりもする。

これに違和感があった僕は、ある時、先輩に聞いてみた。

僕らは大学に学費を払ってるんだし、研究することでラボから給料をもらってるわけでもない。僕らは大学で研究する権利があるんであって、研究する義務があるわけじゃない。研究を「仕事」って言うのは、おかしいんじゃないかと。

先輩は、僕の言うことにも一理あると言いつつ、
「でも、オレらのラボの研究費って、オレらが払ってる学費から出てるわけじゃないから。」
と言った。

僕はハッとした。

もちろん知っていたのだ。
大学の研究費っていうのは、学生が払う学費で賄えるような金額では全くない。研究費は、いくつかの省庁が設けている研究予算に研究者が応募して、審査をパスした研究者だけに支給される「競争的資金」で主に賄われている。

先輩の話は続いた。

うちの先生(教授)が、予算に応募して研究費を獲得できるのは、提出した研究計画書の内容が評価されたからだけど、先生の今までの研究実績も評価されてる。だから、その研究費で期間内にちゃんと研究成果を出せないと、先生の評価が下がって次に取れる研究費が少なくなってしまう。

つまり、先生が学生に研究費を使わせて研究させてるのは、いわば学生に「投資してる」と言える。

だから、学生もがんばって研究して成果を出して、先生に利益を還元しないといけない、っていう側面もある。

そういう意味では、研究することは僕らにとってまさに「仕事」なんだ、という話だった。

この先輩はかなり厳しい考え方をする人だったし、全ての学生がここまで考えて自分の研究を「仕事」と呼んでいたわけじゃなかったと思う。

でも僕はすっかり納得してしまった。
先生が僕らに「投資してる」というのは的を射た表現だと思った。

それ以来、僕も朝、ラボに来たらはばかりなく、
「今日も仕事がんばりまーす」
と言って、実験に取りかかるようになった。

たあいもない、ことば使いの話ではある。

でも、僕にとっては忘れられない話だし、「研究とお金」の問題の一端を、はからずも映し出していると思うのだ。

ラボに入ったばかりの頃から、学生はすでに「お金」を意識せざるを得ない。それが「研究」という世界が抱える、大きなジレンマのひとつだと思う。



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