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超複雑な「人体」というシステムを写像する先は、複雑すぎても単純すぎてもよくない

人体という超複雑なシステムを理解しやすくするために、
人体を、より単純な世界に
 「写像する」
 (写しとる)
のはいいけど・・・
 あまり単純すぎるものに写像すると、かえってよくない。

前回の投稿で、

人体というシステムを「写像」する先のシステムは、
「ある程度は複雑なシステムで、
 でも、理解できる程度には小さいシステム」
が、いいだろうということで、

 人体を細胞に写像する!
と書いたけど・・・

ちょっと補足したい。

どうして
「ある程度は複雑なシステム」
がいいんだろう?
「めっちゃ単純なシステム」
に写像しちぇえばいいんじゃないの?

「人体」という、超複雑で巨大なシステムは、
このままだと、全体を理解するのは難しいので、
よりシンプルな何かに写像して(写しとって)
理解しやすくしたい。

これはたぶん「次元を落とす」ってことだろう。
(僕は数学には詳しくないけど、たぶんそうだ。)

例えば、3次元の立体である「球」が
 そのままだと理解しづらいなら、
「球」を2次元に写像して、「円」にすれば、
 理解しやすくなるかも知れない。

010_球と円

でも、あまり単純にしすぎても、よくない。
2次元の「円」を、さらに1次元に写像すると「線」になる。

一方、
3次元の「立方体」を
2次元に写像すると「正方形」になるけど、
これをさらに1次元に写像すると・・・
 やっぱり「線」になる!

011_立方体と正方形

2次元の世界を見れば、
 「円」は元「球」だった、
 「正方形」は元「立方体」だった。
と、想像がつきそうだ。

でも、1次元の「線」と「線」を見比べても、
どちらが元「球」で、
どちらが元「立方体」だったかなんて、
 永遠に分からない・・・

つまり、1次元だと次元を落としすぎなんだな。

この「1次元」っていうのは、
言葉を変えると
 たったひとつの値、と言ってもいい。
 たった一種類の検査の結果、と言ってもいい。

ある人の個性や体の状態を知りたくて、
 「血圧」だけを測ってみるとしよう。
これはつまり、その人の個性や状態を、
 「血圧」というたったひとつの値で表しているのだ。
その人を、「1次元に写像した」と言ってもいいだろう。

では、全く同じ血圧だった人たちを、たくさん集めてみよう。
するとそこには、
 しんどい人も、元気な人もいるだろうし、
 持病のある人もいれば、特にない人もいるだろう。
 身長、体重、性別だって、さまざまだろう。

つまり、
「血圧」という1次元の単純すぎる世界に写像してしまうと、
情報が少くなりすぎていて、
 もともとどんな人だったのか?
を全く再現できないのだ。

だからと言って、情報を増やそうとして、
血圧に加えて、体温や血糖値も一緒に測ったとしても、
状況はたいして変わらない。

(※ 「血圧や体温を測ることには意味がない」と言いたいわけじゃない。子供の元気がないことに気付いて、体温を測ってみる、ということには意味がある。ただ、ここでは生物学の次のブレイクスルーがどの辺りにありそうか、考えてみたいだけなんだ。)

つまり、
 1個や数個のパラメータに、
 ある人の個性や状態が写像されている、
と考えてみても、
その人の全体をまるっと眺めるには、
情報量がまるで足りないんだ。

だから、
 「もうちょっと複雑な何か」
に写像しないといけない。

しかし、その「何か」は、
 まるっと全体を眺められる程度には小さい何か
でないと、いけない。

もう一度、この絵を見てほしい。

012_球と円再度

今の測定方法は、
 人体を 1次元 に写像しちゃってる
と僕は思っている。

僕が夢見るのは、
 人体の状態を
 元の状態が復元できる程度には複雑な何か
 に、写像すること。

つまり、球を円に写像するように。

こう考えていくと、その「何か」は、
 細胞しかないだろう!
と、僕は思ってしまう。

繰り返し、いろんな角度から考えたけど、
これしかないと、僕は思うんだ。

「どう写像するか?」は、ともかくとして。

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