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ひいじいちゃんと月
僕は幸い、ひいじいちゃん(父方の祖父の父)に会ったことがある。僕が中学生の時まで存命だった。
ひいじいちゃんは、九州の山あいの村で、医者をしていた。その村でただ一人の医者だった。もっとも僕が物ごごろついた頃にはその村も交通の便がよくなり、近隣の中規模の病院まで車で通えるようになって、ひいじいちゃんの診療所を訪れる人はほとんどいなかったけど。近所のお年寄りが、たまにひいじいちゃんのご機嫌伺いも兼ねてやってくるぐらいだった。
僕と妹が、両親に連れられて最後にひいじいちゃんの家に行った時、小学生だった妹が熱を出してしまった。
するとひいじいちゃんは、妹を古ぼけた診察室に連れて行き、診察を始めた。のどの奥を見るとき、舌を押さえる銀色のヘラの代わりに、先の丸いバターナイフを使っていたのが可笑しかった。
診察を終えると、ひいじいちゃんはなんと調剤を始めた。
これまたなんとも古ぼけた天秤ばかりに薬包紙を乗せ、片方に分銅を乗せて、もう片方に粉薬を乗せていくのだ。
僕の父が、そんなひいじいちゃんの手元をのぞき込みながら、
「大丈夫?」
と心配そうに聞いたのを、妙によく覚えている。
ひいじいちゃんは、何種類かの粉薬を測り取って乳鉢に入れ、乳棒でよく混ぜた。そして混ぜた粉末を、また天秤ばかりを使って同じ重さずつ測り取っていく。最後にその粉薬を、ひとつずつ薬包紙に包んでできあがりだ。
天秤ばかり、薬包紙、乳鉢に、乳棒・・・!
どれも理科室で使ったことはあったけど・・・
「これが本来の使い方だったのか!」
と、僕はびっくりしてしまった。
粉薬を薬包紙でひとつずつ手で包むなんて作業も、僕は初めて見た。
薬包紙・・・
薬を包む紙、と書いて薬包紙なんだから、なるほどこれが本来の使い方なのだ!
ひいじいちゃんは、自分で診察して手作業で調剤した薬を患者に渡す、なんてことをするお医者さんの、最後の生き残りだったのかも知れない。
ひいじいちゃんの自宅を兼ねた木造の古い診療所で、僕はこの光景を見ることができて本当によかったと思っている。
父の父(僕の祖父)は終戦後もだいぶ長いこと帰国できなかったので、父は少年期にひいじいちゃんから強い影響を受けて育ったようだ。
父がよく話す思い出話に、こんなのがある。
ある時、月食があって、ひいじいちゃんと父は欠けていく月を一緒に見ていた。
ひいじいちゃんは父に、あれは月に地球の影が映っているんだと教え、
「だから、こうやって手を振ると、映るんじゃ。」
と言いながら、月に向かって手を振って見せた。
月に映っている地球の影と一緒に、地球の上に立ってるひいじいちゃんの影も映る、というジョークだ。
僕はこのエピソードが大好きだ。
ひいじいちゃんの知性や、知る喜びを孫に教えたいという愛情が伝わってくる。
こういう「分かるって楽しい」という気持ちが、ひいじいちゃんから(もちろん祖父からも)父に伝わって、それが僕にも伝わって、僕は今、生き物とか生物学が大好きなんだなぁ、と思うのだ。