自分自身のことをどれだけの人がわかっているのだろう
ほんです。
裏垢男子の視点から色々よしなしごとを書き連ねています。
世の人々が裏垢を始めるきっかけは様々だと思いますが、一般的に言う、裏垢男子や裏垢女子の振るまいを見る限り、承認欲求の発露であったり、性欲の解消であったりがその目的なのかなと思います。
「性欲」この抗いがたく厄介なるもの。
このモヤモヤムラムラするものに僕たちは翻弄されています。
巷では性癖がハマるお相手を見つけることができるマッチングサービスを雨後の筍のようにそこかしこで見かけるようになりました。
そこで裏垢男子女子は地域や年代、好みの性癖が合うお相手を見つけ、出会っていきます。
2022年12月現在の僕は、これらのサービスは退会しているかほぼログインしていない、没マッチンな状態にいます。
そこで立ち止まってふと考えた。
「性癖」ってなんなんだろう?
性癖を辞書(デジタル大辞泉)で調べてみると、「性質上のかたより。くせ。」とあります。
そして、くせの意味は、「無意識に出てしまうような、偏った好みや傾向」なんだそうです。
僕自身、いろいろと諸事情があり、裏垢的な世界にほぼ10年振りくらいに復帰しています。
そうして裏垢界隈を見渡すと、昔と大きく違っていることに気がつきました。
以前はこんなに当たり前にみんな首絞めをやってなかったし、ハメ潮なんて噴いてる人誰もいなかった。むしろ潮ふき自体、ある種のファンタジー扱いされていた記憶があります。
性癖が無意識に出てしまうものなら、首絞めやバチボコといったジャンルはもっと一般に知られていてもおかしくなかったんじゃないの?
みんなが性癖として捉えている嗜好は、実は結構後天的なものなんじゃないの?
もちろん、人それぞれに大好きな嗜好もあれば、絶対ダメな苦手なものもあると思います。
それは間違いないのだけれど、隠された部分もとても多くあって、そして万人に共通する嗜好も意外とたくさんあるんじゃないかな。
僕が好きな言葉に「解像度」というものがあります。
解像度が低いと荒いモザイクがかかったような状態ですから、自分が何が好きなのかよくわからないから、うまく自己アピールも出来ないし、運良くマッチンできたとしてもどことなくピントが外れた「何かが違う…」という消化不良にも繋がりかねない。
だから解像度はとても大切!と考えていたのですが、解像度に囚われすぎると視野自体がせまくなる危険性もあるんじゃないかと思い始め、少し考え方が変わってきました。
私はこれがどハマり。
俺はこうじゃないとイケない。
自分の嗜好について、あまりにも厳密にとらえすぎるとせっかくの娯楽が窮屈になります。
こうじゃなきゃダメ、と決めつけずにもっとシンプルにあいまいに「こういった感じのが好き」「あれは苦手」と考えられればそれで良いじゃない。
自分を知ることはとても大事だけど、自分だって常に変わっていくのだから、おおらかにのびやかに。
せっかく裏垢というのびやかな世界で暮らしているのですから。
とーびんと。