団地で団結~春にはみんなで掃除と花見だ!~
わたしの実家のある団地では、春には総出で花見をする。
四国の田舎町である我が団地は、田んぼと畑と民家が交互に続くような地域で、いわゆる公営住宅の集まりではなく、単純に同じライフラインを使う民家の集まりを指していた。
もとは草原だったその土地に、田んぼと畑が耕され、少しづつ民家が増え、道路と川が作られて、ひとつの集落になっていく。その集落を細かく分けたのが団地だった。
全部で16の家が集まったわたしたちの団地では2週間に1回、集落の端にある避難小屋で会合があって、父はいつもより早く仕事を切り上げて参加していた。話し合いが進むにつれて最後には宴会になるらしく、家で母の手料理を食べるのが常な父もよく酔っ払って帰宅していた。
団地の中でも父と母は若く、小さな子供がいる家も我が家だけだったおかげか、わたしと弟は物心ついた頃から団地の大人たちにかわいがってもらっていた。
特におじいちゃんおばあちゃんたちは、実の孫のように接してくれて、一緒にご飯を食べたり、勝手に家に入り込んで弟とかくれんぼをしたりした。
この気安さがよかったのか、他の団地の子も珍しがって一緒に遊ぶようになり、いつの間にか子供で賑わっていた。
地域の中でも、繋がりが強かった団地だったが、幼心にわたしが一番楽しみにしていた行事が、春の清掃と花見だった。
これは団地内にある、サンカク公園というその名の通り三角の形をした20平米ほどの小さな公園を掃除して、その後地でみんなで花見をするという行事だが、これがなんとも楽しいのだ。
公園には錆びかけた鉄棒とすべり台、あるのかないのかわからないくらい埋もれた砂場、そして大きな桜の木が一本だけ植わっていた。
ただでさえ寂れた公園が、夏の終わりから冬にかけて草がのびまくり、遊具が雑草の隙間からみえなければ荒れ放題の空き地にしか見えない。まるで樹海のような公園だが、年に一度の掃除によって、宴会場に生まれ変わる。
普段はめったに顔を合わせない人もこのときばかりは、せっせと清掃活動に勤しむ。
見たことないおじさんとよく遊んでくれるおばあさん、たまに朝挨拶するお姉さん。父母、弟、そして自分。
知らない人もよく知っている人も家族も、当たり前のようにみんな一緒になって、同じ空間と時間を共有している。この不思議であったかい結束力がたしかにそこに存在していて、子供ながらその場にいることが楽しく、幸せに感じていた。
伸び放題の草を取り、すっかり丸裸になった公園にドキドキしていると、休憩に一時帰宅していた大人たちが戻ってくる。
酒とつまみに、もち寄った家庭料理を分け合い宴会が始まる。ここいらでは一番大きい道路に面しているおかげで、散歩途中だった別の団地からも飛び入り参加があったりして盛りあがる。
もうだれも桜なんてみちゃいない。
飲み食いもそこそこにすべり台にのぼったわたしと弟だけが、ようやく年に一度の日の目をみた桜を見ていた。
年を経て、団地のおじいちゃんたちはいなくなり、空き家には新しい家族が越してくる。今は父と母がその子供たちと家族を見守っている。
いつの日か、この団地にわたしも戻るかもしれない。
そうであろうとなかろうと、この恩返しのような繰り返しが、このままずっと続けばいいと、心から思う。
編集:アカ ヨシロウさん