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自分の名前なんてくそくらえだと思っていた
自分の名前が好きではなかった。
古臭いとか、可愛くないとか後付の理由は色々あったけれど、もっと漠然とした「なんか好きじゃない」感があった。
小学校で自分の名前の由来を親に聞いてみよう的な授業をしたときも楽しくなかったし、プリントに名前を書くのも億劫で代りにう○このマークを書いてごまかしたりしていたほどだ。先生は呆れていたが、高校1年になってまでそんなことをしているのはクラスで私だけだったので、ちゃんとプリントは自分の元に戻ってきていた。(なんておばかなエピソードだろう、恥ずかしすぎる)
でも不思議なことに、最近自分の名前を嫌いでなくなってきた。
きっかけは特に無くて、大人になるに連れて、段々「悪くないかもしれない」と思うようになってきた。
強いて理由を上げるなら、昔より自分が好きになってきたからかもしれない。
28年とちょっとの人生で経験したことは、楽しかったこともそうでなかったこともある。そういうことをちゃんと自分の経験だと認めることが出来始めた。正直出来たとも言いきれないので出来始めた、という表現にした。だから自分の受入れ方を果たして一体どうやってやるのか、という話はまだ書けない。
少し話が脱線したが、とにかく自分の名前を好きになることと自分を好きになることには、つながりがあると個人的には思っている。
一見つながりは薄そうに見えるが、このじわじわとした心境の変化を考えると、やはり両者には何かのつながりがあるのだろう。
以前なら、自分の名前の由来で文章を書こうとは思わなかっただろうし、今回のように日刊かきあつめでテーマに選ばれても、辞退させてもらっていたかも知れない。それくらい漠然とした好きじゃない感はわたしの中の圧倒的な気持ちだった。そんなわたしがこの文章を書いていることはなかなかの奇跡だと思うのだ。
奇跡なんて言葉を簡単には使いたくないし、恥ずかしいのだが、敢えて使いたくなるくらいには、自分を好きになりはじめた今のわたしに喜んでいる。自分で書いていてにやにやしてしまった。
正直、今はまだ好きか嫌いかで言えば好き程度だが、数年後には自分の名前を好きだと大声で言いたい。
そしてその時こそは名前の由来についても言及したいと思う。
編集:べみん
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