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雨は天の一声
雨が結構好きだ。
でも雨の日の一日には悪いことが多い。
まずジメジメする。洗濯物を部屋干しにせざるを得ないし、おまけに乾きにくい。
外出時は雨を避けるために傘を持たなければいけない。いつもより荷物が多くなって、動きづらい。
そんな状態の人間が一気に電車に乗りあわせる通勤ラッシュは最悪だ。ゼッタイにほぼ100%の確立で電車が遅延する。
出先につく頃には、靴なりズボンの裾なり、ブラウスの肩なり、どこかしら濡れている。テンションが下がる。とくに靴下まで濡れていると本当に最悪だ。
そしてなにより、髪の毛がものすごい勢いで広がる。うねる。爆発する。帽子を被らないと生きていけない。服がワンパターンになる。最悪だ。テンションが下がる。
あげるとキリがない。でも好きなのだ。
理由は雨の「天の一声」的な役割にある。
雨が降ると全てが無にかえるような、スッキリ感を覚える。
悪い意味ではない絶望感というか諦念というか、自分ではどうすることも出来ない大きな力で、ストップがかかったような気持ち。
野外イベントの当日に雨が降ると、「今日は中止だな。」と思う。
残念な気持ちすら通り越して、そうですか、お天気様がそうおっしゃるなら、しょうがないですね。みたいな感じに、あっさり諦めがついてしまうのだ。
この感覚は雨以外にもそこかしこにころがっている。
むかし、上司に仕事を振られたとき、やりたくなければ断ってもいい、と選択を迫られたことがあった。
振られた仕事は明らかに自分の力量をこえていたし、やりたい仕事じゃなかった。でも上司はわたしに期待をしていた。
断るか断らないか悩んだ。期待には応えたい。でもそんなにやりたい仕事じゃない。そもそも仕事を選ばせてもらえること自体とんでもなく有り難い環境なのに、やりたくないという気持ちで断っていいのだろうか…とかなんとか考えているうちに数キロ痩せてしまった。
そんなわたしを見た友人が「いい人ぶってんじゃねーよ」と言い放った。
友人の言葉は真実で、何も言い返せなかった。わたしは上司にがっかりされたくなかったのだ。
その瞬間決心がついてしまった。
「いい人ぶるのはやめよう…素直にやりたくないと言おう…」
友達の容赦ない一言はまさに雨だった。
自分ではどうしようもなくなっているとき、逆らいようのない圧倒的な力で決着をつけてほしい。そんなときに、人間ではどうやっても避けられない雨が降ると、安心する。
安心して本心に向き合った結果、このときの上司とは今でも公私ともに仲が良い。素直に意見を言ったことで、むしろ信頼を得られたらしい。
自分の心に向き合うことに安心できたのは、この天の一声があったからだ。
だから雨が降る時はいつも、それを望んでいたような気すらする。
そう思うとなんだか雨が好きになるのだ。
編集:円