センター試験の小説を読んでみないかい?

勉強しているうちに、いつからか問題集やテストにでてくる小説を読むのが好きになった。

はじめのうちは引用された部分を読むだけで満足していた。
自分がテスト中だということも忘れて小説の世界へ入り込んで、登場人物の心情に思いをはせる。

余韻を楽しみすぎたがゆえに問題を解き始めるのが遅くなってしまい、その後に続く古典の問題に時間を割けず撃沈なんてこともしばしば。好きなわりに思ったほど国語の点数が良くなかったのはこのせいだと今でも思っている。

そのうち、図書館で本を借りて全部読むようになった。

もともと読書好きである。それも必然だったかもしれない。テストのために切り取られた一部分と、一冊の本として読むのでは、全く違った。

物語としての意味はもちろん、設問の答えすら、変わったと思ったときもあった。

その変化を発見することが息抜きにもなっていたのだろう、受験勉強の傍らよく読書をしていた。それも大学受験が終わると、ぱったりとやめてしまっていた。

そんな読書と受験勉強の記憶を思い返したとき、久しぶりに読んでみようか。そんな気分になった。

去年のセンター試験で出題された『キャベツ炒めに捧ぐ 井上荒野 著』を手にとった。

問題文として引用されたのは本書の、ある一章「キュウリいろいろ」の一部。主人公の60歳女性がお盆に、去年亡くなったばかりの夫と、2歳で急逝した息子を思う心模様を、夫との思い出をふりかえりながら描いている。

当時と同じように先に公開されている試験問題を読んでから、単行本を借りた。やっぱり、まったく違った。

実は「キュウリいろいろ」の彼女以外にもあと2人、同じく忘れられない男を想う60代のヒロインがいたのだ。

「キャベツ炒めに捧ぐ」を通じて、妙齢のヒロインたちは同じ惣菜屋で同僚として毎日顔を突き合わせる。忘れられない男はさておき(!)、最近お気に入りの若い男を取り合ったりなんかしながら、自分たちの恋愛事情をあーでもないこーでもないと騒がしく会話するのだ。

その様子はまるで同年代の女友達。もはやわたしは4人目の同僚の気分だ。

…いや、まてよ、これは「キュウリいろいろ」とはまったく違う物語じゃぁないか。

センター試験で引用された部分だけを読むとキュウリの彼女(長いので略させてもらった)は暗い。幼くして死んでしまった息子を思うあまり、夫を憎んできた描写がたっぷりある。さんざん心無い言葉で夫を傷つけてきたにもかかわらず、別れは許さないという、ある種の愛憎を感じさせる女性だったのだが…。「キャベツ」の彼女は総じて明るい。
お気に入りの年下男に誰よりも早くアプローチしているし。

「この人たち本当に60歳超えているんだろうか…」

なんだかものすごく楽しそうである。

一冊読み終えたわたしは爽快な気分だった。問題文を読んだときには予期していなかった展開、結末に心が踊る。

受験生なのに読書に夢中になっていた感覚を思い出した。わたし自身今ではもう、問題集を解くこともテストで小説を読むこともない。でもセンター試験なら新聞でもウェブでも公開されて、いつでも読める。

センター試験が終わったばかりの受験生も、受験が終わって久しい働くあなたにも、年に一度のちょっぴり変わった読書、とてもオススメだ。

文:ほんさち

編集:アカ ヨシロウ

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