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ドリブルばかりの子どもたち①

2022年5月5日 
わたしの弟は、中学生のサッカー少年で、わたしは、しばしば彼らの練習や試合を見に行く。
練習を見ていると、なるほど、クラブチームというだけあって、みんな足元の技術はとても高いのだなぁと感心した。

しかし、試合になると一変、内容はとてもお粗末で練習の時に仄見えた期待は外れることになる。いわゆるお団子サッカーで、ドリブルしては、ボールを奪われ、奪い返してはまたドリブルと言った具合だ。

弟:「今日は勝つためにやっていたわけではない。ドリブルの技術を高めるための練習試合だった。」
わたし:??????

そこで、育成年代のサッカーについて、その意義や目標について考えたい。

•サッカーに勝ち負けは存在する



まず、スポーツ基本法によると、

スポーツとは、
心身の健全な発達、健康及び体力の保持増進、精神的な充足感の獲得、自律心その他の精神の涵養等のために個人又は集団で行われる運動競技その他の身体活動であり、、(以下略)

ここでサッカーは運動競技に該当する。(としておく)
そこで、運動競技とは、「 一定の規則に従って、運動能力、技能などを競うこと。」とあり、(コトバンクより)
つまり、誤解を恐れずに言うなればサッカーとは競うことである。
「競うこと」と、定義される以上そこには明確な勝敗が存在し、競争に晒された当事者たちは"勝つため"にプレーするべきだ。

•サッカーにおける勝ちとは?



サッカーの勝利条件は、
試合終了時に対戦チームより多く得点している。ことである。

ここで重要なのは、ボール支配率やパス成功率、さらには、戦術の浸透度などはサッカーの勝利においては、直接的な関係は一切ないということだ。

サッカーの勝敗に芸術点やプロセスへの評価の余地はない。
あるのはただ1ゴールに1点与えられるスコアだけだ。

例えば、統率も技術もアスリート能力もないチームがある。
このチームが仮に現在のリバプールと対戦したとする。
リバプールに一方的に攻められるも、奇跡的に全てのシュートが無得点に終わってしまった。そして奇跡的に、クリアボールがリバプールの自陣ゴールに入り1点をとって試合終了となったとき、
この試合の勝者は統率も技術もアスリート能力もないチームである。リバプールではない。

•いい選手とはチームを勝利に導く能力を持った選手である



上記のサッカーの特徴を踏まえて、わたしは「いい選手」を「チームを勝利に導く能力を持った選手」と定義する。

人間性について触れることもできるが、人間性については、大前提必須条件と考えるためスルーしたい。

一般にサッカーは点を取るのがとても難しいと言われている。だからこそ90分も試合をするし、スコアレスドローの試合もよくある。

そんなサッカーで、チームを勝利に導く能力は、
1.得点に絡める能力
2.失点を防ぐ能力
3.チームのモチベーションを高める能力
4.運要素
の4つに分類できる。

1〜2は言うまでもなく、点をいっぱい取れる選手や好セーブ連発の選手の評価は高くなる。

3に関して、レアルマドリー時代のセルヒオ・ラモスや現リバプールのジョーダン•ヘンダーソンなど、熱い選手がキャプテンシーなどと言う形で評価されている。

4の運要素とは、例えば大一番で点を取ったり、今でこそ少ないが自チームに有利な誤審を誘発する。また抜きなどで相手チームの戦意を喪失させるなど、1〜3に当てはまらないが、少なからず勝敗に影響する能力である。

続く

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