「第四密度リアリティ」へとシフトするにつれ、「守り」は必要ではなくなります
以下、備忘録。
その人が
どれぐらい「第四密度リアリティ」にシフトしているかによって
その人の使う「言葉遣い」も変わってくるでしょう。
例えば
第四密度リアリティにおいては、
「守る」「守り」「安全」という言葉を使うことがなくなっていきます。
「敵」「悪者」「害悪」という概念がなくなっていきます。
「ひとつがすべてであり、すべてがひとつである」
(わたしはすべてである、わたしはすべてでもある)
という認識がデフォルトになるので
「ほかの存在」(「ほかの要因」)によって、
「わたし」に対して、なにか「よくない」ことが及ぼされ得る、
という体験がなくなっていくので、
「守る」「守り」「安全」という言葉を使うことが、
自然と、なくなっていくでしょう。
「敵」「悪者」「害悪」という概念が、
自然と、なくなっていくでしょう。
第四密度リアリティにおいては、
二極に分かれるような言葉を使うことが少なくなります。
(反対側のネガティブな極があることを連想させるような言葉
(特に価値判断を伴うような言葉)を使うことが
減っていきます。)
例えば
「わるい」ということがあり得るのを連想させるような言い方で、
「よい」という言葉を使うことが減っていきます。
「醜い」ということがあり得るのを連想させるような言い方で、
「美しい」という言葉を使うことが減っていきます。
「不健康」ということがあり得るのを連想させるような言い方で、
「健康」という言葉を使うことが減っていきます。
極性を表す場合の表現が、
単に、
「ポジティブ(プラス)」「ネガティブ(マイナス)」
というような、
「本来の自分と一致している」「本来の自分と一致していない」
というような
ニュートラルな表現に
自然と、なっていくでしょう。
「悲しみ」「苦しみ」「(精神的な)痛み」「(精神的な)傷つき」
という体験がなくなっていきます。
あらゆる物事に対して、ポジティブな意味づけをするようになるので、
(あらゆる物事が、
「その物事を体験することによって学びを得ることのできるもの」という
ポジティブな意味づけを持つようになるので)
「悲しみ」「苦しみ」「(精神的な)痛み」「(精神的な)傷つき」
という体験をすることが、
自然と、なくなっていきます。
「悲しみ」「苦しみ」「(精神的な)痛み」「(精神的な)傷つき」
という言葉を使うことが、
自然と、なくなっていくでしょう。
「統合する」ことも(結びつくことも)「喜び」だし、
「分離する」ことも(別れることも)「喜び」なのです。
ということを
僕自身が(あらためて)覚えておいたほうがいいなと思い、
備忘録にしてみました。