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建築学科卒業制作のテーマ案①
人間を単なる生物として捉えたとき、自然という言葉が含む範囲は想像以上に広いと感じることがある。たとえば、地球温暖化や環境破壊といった単語は、インパクトは強いが、その背後には「人間は生物以上の存在である」という暗黙の前提があるように思う。言い換えれば、人間を神のような存在とする見方だ。しかし、それに対して疑問を抱く。
70億人の集合知が神に近づけるほどの高貴なものだとは到底思えないし、もしそれが事実なら、そもそも「環境破壊」という概念自体が存在しないはずだ。結局のところ、自己利益の最大化を追求する合理的な動物でしかないのが人間だ。むしろ、その身勝手さを神と呼ぶのは、人間自身を神格化しようとする行為に他ならない。自分の欲望を「お客様は神様だ!」と押し付けるように、神というものも実に小さく見える。
さらに、現在「動物」と呼ばれる存在たちから見たコンクリートジャングルは、彼らにとっても過ごしやすいものになっているはずだ。人間が自然を守らねばならないと考え始めたのも、そろそろ住む場所や食料に悩み始めたからだろう。その背後にある自己中心的な動機が、今や吹き飛んでいるかのようだ。人間による環境破壊で絶滅する生物がいても、それは単に動物が動物を滅ぼしただけの話であり、本来騒ぎ立てるほどの問題ではないのかもしれない。
結局、人間が「滅ぼした」という認識を持つのは、自己反省のメタ認知と、失うことへの恐怖、そしてコレクション欲が絡んでいるのだろう。私たちの罪悪感や所有欲が、自然や生態系の保護を叫ばせているのかもしれない。
一方で、デジタルネイチャーの夜明けはすでに始まっている。
僕たちはそろそろ、新しい生物を産み落とすのだから、自分たちの身にまとっているプライドを脱ぎ捨て、本来の自分を再定義する時期に来ているのではないか。
以下、上記を踏まえて卒業制作で何をしようか考えていることをまとめようと思う。荒けづりな部分ももっとウィットなものにしなければいけないと思いつつ。何もできていないので、是非喝を入れて頂きたい。
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