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建築新人戦からの堕落 クリストファーノーラン インセプションを見て
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クリストファー・ノーランの映画『インセプション』を見たとき、ふと一つのことを考えた。アイデアを想像するためには、「トーテム」があるのではないかと思うようになった。
インセプションでのトーテムにはいくつかの特徴がある。
1.自分だけが知る性質: トーテムは、自分だけが知っている独特な重さや質感を持ち、他者には知られていない。
2.他人に触れさせない: 他者が触れるとトーテムの正確さが失われるため、決して他人に触れさせない。
3.現実と夢を分けるための道具: トーテムは、夢の中で現実を確認するための個人的なツールであり、自己意識を保つために使用される。
4.日常生活でのアンカー: トーテムは、現実を保つための「心理的なアンカー」として機能し、個人の現実感を維持する役割がある。
僕の場合、極端に睡眠時間を削ったり、音楽を聴きながら作業をすると、アイデアが浮かびやすくなる。これが科学的に根拠があるわけではなく、無論、健康に良くないことも知っている。それでも、この悪癖ともいえる習慣が僕にとって創造性を引き出す「トーテム」になっていたのだ。
しかし、この夏休み、それを壊したのは他でもない、僕自身だった。例年以上にバイトに打ち込んだ結果、以前の創造のリズムが崩れてしまった。これまでの数年間の夏休みは毎日、建築新人戦に出すための創作活動に没頭していた。しかし、今年はそのコンペに出せる年齢を過ぎ、特にやることが見つからなかった。いや、やるべきことはたくさんあったのだが、事務作業のような、どうにもモチベーションが湧かないものばかり。そうこうしているうちに、気づけば夏休みも残り一日になっていた。例年であれば、ちょうど明日はコンペの結果発表日。けれど今年は、そんなことさえ忘れて、ただバイトに明け暮れ、体は規則正しい生活に慣れてしまった。
その結果、僕の中のトーテムは壊れてしまった。
僕自身が壊したトーテムではあるが、このプロセスを他人に話すと、すぐに正論で打ち返されるだろう。「もっと寝た方がいい」「音楽なんて聞かない方が集中できる」と言われてしまう。それは一つの現実だと思う。インセプションでトーテムを他人に触れさせてはいけない理由がそこにある。触れさせることで、その性質を他人に把握され、トーテムの意味が失われるように、僕の創造プロセスもまた、他人に話せば壊される。
けれど、この夏にトーテムを壊したのは、結局自分だ。他人に壊されたわけではない。僕は「ちゃんとした生活」を手に入れたが、それは僕の創造性の源を失わせる代償だった。
映画の中盤で、主人公のコブがトーテムを取り出して現実か夢かを必死に確かめようとするシーンを僕は強く思い出す。今、僕が経験しているこのスランプは、もしかすると現実かもしれない。そして、かつて学生生活でアイデアを模索していた自分は、もしかしたら夢を見ていただけなのかもしれない。
まともな生活習慣がルーティン化すると、これほどまでに無味乾燥な世界が広がっているのかと感じる。そして、スランプがもたらすのは時間の加速だ。時間の速さが、僕の成長を追い越して先に進んでいってしまうように感じられる。何もしない大学生活が、もうすぐ終わりを告げる。今の僕は夢から抜け出すという選択肢を選べないと思う。今感じているものが、幻肢痛だとわかっていても。
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