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退屈な国
実家のキャビネットの中にはいろんな思い出が詰まっている。
なんとなく掃除を始めたついでにキャビネットの整理を始めて、昔のバイト先の通帳や、もう行かなくなった病院の診察券を捨てていたら、分厚い写真の束を発見した。
掃除をしていた手を止めて座り込みながら写真をパラパラとめくる。
幼稚園に入る前のサークルで運動会をした時の写真が出てきた。そこには頑張って綱を引く私と、少し離れたところに頬を赤くして同じ綱を引くいくこが映っている。3歳の頃の写真。いくことは今年で出会ってから22年目になる。
サークルで出会ったのち、幼稚園はお互い別のところに通い、小学校で再会した。
クラスが同じになる機会は少なかったけど、4年生から金管クラブという楽器を演奏するクラブに所属したのをきっかけに、6年生まで毎朝一緒に朝練に行き、土曜も一緒に練習に向かうことになった。
小学校卒業間際には中学でも楽器を続けるのかを、毎日一緒に登校していたのになぜかお手紙交換で相談しあった記憶がある。私は続ける気満々だったので、星がいっぱい散りばめられた便箋に「いくこも続けることにした」と返事をもらった時は、また一緒に楽器ができることが嬉しくてたまらなかった。
中学では念願だったマーチングバンド部に、いくこと一緒に入部した。いくこと私が通った小学校出身は2人だけだった。
最初は心細かったもののどんどん打ち解けていって、上下関係がアホみたいに厳しい部活だったけど、同級生と過ごす間抜けな時間が楽しくてたまらなかった。
いくことの帰り道に、当時お互い好きだったRADWIMPSのおしゃかしゃまという曲のイントロを歌っていると、DADAという曲のサビに綺麗に繋がることを発見し帰り道に大声で歌っていると、翌日先輩に呼び出されて、「うるさい」と怒られ。帰りがけの路上でたむろって話していたら、翌日先輩に呼び出され、「先輩の悪口を言ってただろ」と怒られ。数え切れないほどの理不尽な呼び出しをされては怒られていたけど、その度に一緒に愚痴を言いまくって笑って、忘れて、またがむしゃらに部活に取り組んだ。
部活が終わると隣駅まで繰り出し、プリクラを5回連続でとったり、当時流行っていたコスプレしながらプリクラを撮る…通称コスプリをしたり、とにかくプリクラで自らを盛ることに勤しんだ。
中2からは高校受験に向けて一緒の塾に通った。当時私は塾の講師に密かな恋心を抱いていて、それを真剣に相談したり、トイレでひたすら写真を撮りまくったり、不真面目な面が多い塾生活だったけど、お互い無事志望校に合格した。
高校は別の学校に進んだものの、同じバイト先で遊ぶように働き、たまにお互いの学校に遊びに行ったり、たまたま帰り道にあって一緒に帰ったり。毎日一緒ではなくなったものの、頻繁にあって喋りまくって疲れるまで笑って一緒に帰っていた。
大学に入った後も、なんだかんだまた同じバイト先で働いて、ふざけながら過ごした。3年の時、大きめの失恋をした時にはいち早くいくこに連絡を入れた。すると間髪入れずにとても喜んでいるスタンプを連投しきて「私のみほが返ってきた!」、二言目には「おめでとう!」と送られてきた。当時は本気でキレそうになったが、そんな気力さえなかったから放っておいて、またいつも通りくだらないことを話してゲラゲラ笑う日々に戻った。
社会人になってからも、同じ部活の友達も含めて定期的に集まったり、地元のご飯屋さんを開拓したり、会う頻度が低くなったものの連絡の頻度は変わらず、常に何かしら話しているような感じだった。
そんな、どの年も一緒に過ごした思い出があるいくこがアメリカに飛び立った。
実は海外に行く口実ができてとても嬉しくて、いつ長期滞在するか悩んでいる。
でもいくこがいない日本は静かで、少し退屈だなと思う。
時差や距離を感じないほど頻繁に連絡は取り合っているけれど、
やっぱりふらっとあってお茶でもしたい。
口が乾くほど話したいし、お腹が痛くなるまで笑あいたい。
この先もどこにいても頬を赤くしながら、大胆に口を開けて笑って、変わらずにおしゃべりでいて欲しい。
いくこが選んだ人と、偶然決まった暮らす場所でどんな形でもいいから、幸せだと思う瞬間が多くありますように。
祈るように今日も私は日本でいつものように暮らしている。