S先生はこんなに素敵なホメオパスでした!
S先生
S先生はヨーロッパから来られている身体がふくふくの心優しい先生でした。
おしゃれな丸眼鏡をかけて、温かい雰囲気でいつも穏やかにニコニコされていました。
またユーモアを持ち合わせている先生でよく冗談も言っていました。
(冗談を通訳することの大変だったこと!)
元々は外科医でいらっしゃいましたから、様々な病気に詳しいのは当然のこと、薬にも精通しておられました。
それだけでなく、ハーブや漢方、鍼灸、中医学にも精通されていました。
脈診もされるほどでした。
S先生は研ぎ澄まされた感性も持っておられる方でした。
何よりも患者さんの話を聞くことに重点を置いておられました。
いつも患者さんの話を真剣にきいておられました。
診察以外の時間でも、いつもホメオパシーと患者さんのことを考えておられました。
S先生にお会いしたら安心してすぐに打ち解けてなんでもお話できる気持ちになって、本気で考えてくださっていることが伝わってくるそんな先生でした。
その人の抱えている症状だけでなく、どうしてその症状を抱えているのか、その原因にできうる限り近づくために、様々な角度から患者さんのことを診ておられました。
すべてのことに関して、バランスのとれた、というのが一番しっくりくる表現に思いますが、中道の精神を持っておられました。
その一方で熱い情熱をもっておられて、ホメオパシーを極めるため、常に自分を高めることに意欲的でいらっしゃいました。
人気のホメオパス、日本には自費で来日
本国で人気ナンバーワンのホメオパスだったS先生。
新規患者さんは3か月待ち。
映画スターが内緒で通院。
政府主催のパーティに国賓として招かれる。
学会ではみんながS先生の話を聞きたいがため、大トリを頼まれる。
そういう先生でいらっしゃいましたが、それを自らお話しされることはありませんでした。
日本には全くの自費で2か月に1度来られていました。
2003年から亡くなるまで10年以上日本に定期的に来られていました。
私とは2011年に出逢い、2012年から2014年までの約3年間、共にホメオパシーの旅をしていました。
どうして日本に自費で来られていたの?と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
これにはS先生が使命だと感じていたことが関係しています。
日本人こそ
S先生は、日本人こそホメオパシーを真に理解できる民族だと感じていました。
自然の微かな力を利用して治療するホメオパシー。
日本人ならその力を感じることができて、理解できるはずだ。
なぜなら、すでに自然の力を利用することを日常生活のなかでしているから。
旬の食べ物を食べて、身体を次の季節に備えさせること。
自然に耳を傾けること。
八百万の神々と共に生きている気持ちのあること。
水で浄化するという感覚を持っていること。
そういう日本人の、さらにお医者さんが本当にホメオパシーを理解して、使うことができるようになったら…
これほど最高のホメオパスは世界中どこを探してもいないだろう。
そう確信を持って、日本人にホメオパシーを伝えたい。
まずはホメオパシーを知ってもらって、
ホメオパシーで治る経験をする人を増やしたい。
そうしているうちに、きっとお医者さんも興味を持っていくはずだ、
と常におっしゃっていました。
同じ希望を持って
S先生の想いに、私も感じ入るものがありました。
そして、診察に付き添い素晴らしい結果を目の当たりにしていくなかで、S先生のお手伝いができることに喜びを感じていました。
そして、私自身のたどってきた人生のバックグラウンドが、この「ホメオパシーの通訳」をすることに様々に活きていることを感じていました。
これこそ私の天職だと感じていました。
2014年に、S先生が亡くなられて、この世でのお別れを告げねばならなかった事に、今でも悲しい気持ちでいっぱいです。
それから10年間。
もう自分にできることは何もないと思っていました。
しかし、今、こうして発信することで、何かを受け継いでいくことができるかもしれないと感じています。
次回は、そんな私のバックグラウンドを少しだけお話したいと思います。
本当に不思議なくらい!
それまでの様々な経験がなければ、私はホメオパシーの通訳はできていなかったと思います。
火曜日と金曜日の午前中にUPします!