その男、キムタクにつき
その男に出会ったのは大学生4年の春のこと。私が大学1年から続けていたアルバイト先に中途社員として入ってきた、当時25歳の色黒の男だった。
彼は、見た目のわりにシャイだった。
初めて彼を見たとき、目に飛び込んできたは色黒の肌、毛先を遊ばせた髪の毛、ピンクやら格子柄やら目がチカチカする派手なネクタイ。チャラい。すごくチャラい。彼のファッションはいわゆるお兄系で、きっと私服で履いている靴は先がとんがってるやつだ、と私はすぐにピンときた。ザ・苦手なタイプだな〜、と思ったはずだ。
が、彼の仕事ぶりは真面目そのものだった。年下の私たちにも教えを乞い、一生懸命学ぼうとしていた。それに、チャラい外見がビンビンに警告してきた我々女子への態度も、とても控えめだった。大学生のアルバイトの中で一人そわそわとしている彼に、なんとなく話しかけたときの安堵した表情。これは覚えていない。
とにかく、彼はチャラ男を装っているだけ。彼の理想がチャラ男なだけで、彼は実はシャイで真面目ということが周囲に露呈するのにさほど時間はかからなかった。
私たちとも打ち解けて、気軽に軽口を叩けるようになったのはそれからしばらくたってから。年齢も近いこともあって、アルバイトの飲み会に彼を誘うこともよくあった。彼は、大学生の男の子たちの間では、カッコイイ兄さんとして慕われていたようだ。私も、彼とシフトが重なった時に長々雑談するくらいには仲良くなっていた。
当時、私には付き合っている彼氏がいて、外見チャラ男(根が真面目)のことを色黒の他になんとも思っていなかったが、なんと彼は、私に好意を寄せていた。
そして私は、その気持ちに1ミクロンも気がついていなかった。
気付かぬまま、そのまま時が過ぎ、季節は冬になった。彼の根がシャイゆえの悲劇である。カッコイイ兄さんを慕っていたアルバイト仲間の男子たちも、見るに見かねて彼にハッパをかけたらしい。
そこで彼がとった行動とは。
ある日私は、彼から「合コンを開いてくれないか」と頼まれた。聞くと、彼の友達から合コンを開いてほしいと頼まれたそうだ。女子大に通っていた私は二つ返事で引き受け、可愛い女の子たちを紹介してあげた。
後日開かれたその合コンは、おおいに盛り上がった
…らしいよ、と彼から聞いたのはバイトの休憩中。それはよかったですね〜と雑談モードで返事をした私に彼は言った。
「そんでさ、友達もめっちゃ喜んでたしマジでお礼したいから、飯奢らせてよ」
私は何も考えずに返事をした。
「えーいいんですか〜ありがとうございます〜」
何も考えずに、返事をした。
というのも、私の脳内では勝手に、バイト帰りにいつもみんなで行くラーメン屋なんかで、ラーメンと餃子をご馳走してもらうような気持ちでいたからだ。今日の帰りにでも。
「じゃあデートってことでいいね?」
外見チャラ男(根は真面目)が、見た目通りのチャラ男っぽいことを言った。
「あはは、デートですね〜」
私は笑って返事をした。
チャラい冗談だと思ったのだ。冗談を冗談で返した。まさか、彼氏がいる自分を真剣にデートに誘うなんてありえないと思ったのだと思う。
その日のバイト帰り、私はラーメンを奢ってもらえなかった。
後日、彼からメールがきた。飯、●日どう?とラフな感じで、指定された駅もバイト先の最寄りの駅だったので、ラーメン脳の私は、ラーメンと餃子を食べる気満々でその日待ち合わせに向かった。
と、向かっている途中で、彼からメール。
"行き先変更!新宿駅にきて!"
なんやねん。めんどくさ。とも思ったが、何やら面白そうな匂いがする。なにか愉快な事件が起こりそうな予感がしたおバカな私は、そのまま新宿駅に向かった。
新宿駅に彼はいた。冬なのに胸元はだけた紺色のシャツに白パン。バーバリーのマフラーをさらりと巻き、そしてやっぱり先のとがった靴を履いていた。
「ごめんごめん、行きたいところがあって。乗り換えてもいい?」
彼はそう言って、駅の中を歩き始めた。
また移動?
首を傾げた私は胸騒ぎを覚える。
あれ。
なんかこれ。
サプライズっぽい。
サプライズが苦手な私のセンサーがわずかに反応した。どこかで見聞きした、サプライズに似ている。
「サプライズ好きな彼氏が彼女に行き先告げずに次々に移動して最後はヘリコプターに乗って夜景見たりバラの花渡したりする」やつ。
新宿駅まできてやっと、私はこれはおかしいと気づき始めた。時すでに遅し。
これが公式のデートであることを確信したのは、彼の目的地に到着した時。
夜のデートスポット、お台場である。
夜景が一望できるレストランに入る彼に続きながら、私はやってしまったと猛省した。自分が鈍いばかりに、彼の好意に気付かず、彼に思わせぶりな態度をとってしまっていたのだと。でなければこんな夜景が煌めくムーディーなレストランには誘うまい。ある程度勝算がないと、冬のイルミネーションがロマンティックなお台場にサプライズで連れてくることなんてできまい。
猛省した私は、早く切り上げるために鬼のようなスピードで食事をし、咀嚼の間にあえて自分の彼氏の話をした。そうすれば、彼は自分のことをあきらめてくれると思ったからだ。
彼はなぜか余裕があった。
私の彼氏の話をひととおり楽しげに聞き、もう一軒行こうと誘った。なぜ。
断りきれずもう一軒付き合う羽目になった私は、二軒目でも鬼早い食事をかました。もう帰りましょう、の雰囲気を幾度となく出し続けたが、彼の巧妙なトークがそれを遮る。
結局、終電きちゃうから帰りましょう、の時間まで、彼は私の彼氏の話を聞き続けた。
季節は、冬。
終電を待つお台場のホームは、屋内とはいえとても寒かった。帰りは幸い彼と別の電車になるが、少し早くホームについたせいで、どちらの電車もなかなかこない。
早く解散したくて、待ち時間がジリジリと長く感じる。彼は黙っていて、沈黙が辛い。さきほどまでの巧妙なトークはどこへ行ったのか。シャイボーイよ、何か話してくれ。
迂闊な話をして彼に気を持たせてはいけないと思った私は、当たり障りのない話題を振った。
「芸能人で誰が好きですか」
センスのかけらもない話題だ。
彼はおもむろに白い息をハーっと出し、斜め上を向いたまま答えた。
「断然、キムタクかなー。若い頃のキムタクめっちゃかっこいいよね。めっちゃ憧れてる。」
キムタクか。お兄系ファッションも、どことなく若い頃のドラマのキムタクを意識しているような気もする。
「プライドの頃のキムタクが最高でさー」
彼は突如熱く語り始めた。よほどキムタクが好きらしい。センスのかけらもない私の話題提供は大成功だったようだ。しかし、キムタクがかっこいいのはわかるが、私はキムタクについての知識をあまり持っていなかった。それに、話を合わせて彼のテンションを上げるのも面倒なのではないか。そう思った私は、彼の話が落ち着いてから、話題を変えようと言った。
「…寒いですね」
我ながらこれもセンスのない発言だなぁ。
心の中で苦笑していたその時。
「寒い?じゃあ、これ」
ふわり。
その瞬間、私はなにが起こったのかわからなかった。一瞬の神業。気付いたら、たった今まで彼がしていたバーバリーのマフラーが、私の首に巻かれていた。
え?え!?
私はパニックに陥った。
他人がしていたマフラーなんて、巻きたくない!!まずはこう思った。
そのあとさっきまでの会話が蘇る。
え、なんかこれ!ドラマの中のキムタクがしそうなことじゃない!?え!?キムタクっぽい事しはじめた!?めっちゃキムタクっぽい事してるこの人!?!?
キムタクパニックになった私は、
「え、ちょっとこれ、どうするの!?」
と慌ててマフラーを外そうとした。すると彼は、外されそうになったマフラーをそっと押さえ、
「俺は寒くないから、大丈夫」
と、なぜか横を向いて照れ臭そうに言った。
なんだ。
これは、メロドラマか?
彼はキムタクになりきっているのか?
ただの色黒で根がシャイな男ではなく
キムタクなのか、今の時間は。
あまりの衝撃で呆然と立ち尽くす私。
と、そこへ彼が乗る終電がやってきた。
「じゃ、今日はありがとな。また!」
彼は颯爽と電車に乗り込んだ。
ホームに立ち尽くす私が見える位置に悠然と座り、ゆっくりと、片手を上げた。
その瞬間。
彼の片手は裏ピースになり、突然彼は小首を傾げキメ顔になった。
プシュー。電車のドアが閉まる。
キメ顔裏ピースをキメた状態を続ける彼を乗せたまま、電車がぶーんと動き出す。
そのまま。
彼は、見えなくなるまで、私へのキメ顔と裏ピースを崩さなかった。
後に彼は、裏ピース男と呼ばれることになる。
呆然と電車を見送った私は、ふと我に返り、マフラーを外した。
ひとり残されたホームで、私はしばし考えた。
あれは…彼は、キムタクになりきっていたのだろうか。それとも日頃のキムタクへのリスペクトが過ぎて、行動がキムタク寄りになってしまうのだろうか。オンナを落とすときはキムタクっぽくするのが彼流なのだろうか。そもそも一般の女子は、メロドラマキムタク風の仕草言動で「落ちる」のだろうか。
普通の感覚の人があんな去り方をするはずがない。できるはずがない。羞恥心があれば。キムタクならば許されるのかもしれないが、キムタクでさえ、ドラマの台本になければあんなキメ顔裏ピースの状態をキープしたまま去ることなんてするまい。
彼は、あの瞬間間違いなく、メロドラマの中のキムタクだった。
後日、マフラーはアルバイトの友達経由で返却。卒業とともにアルバイトを辞めた私は、この話を女子会の鉄板ネタにして生きている。