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Vol.37 「死にたい」という言葉は誰が使うんだろう?

1テーマ100コラムに挑戦中
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パニックになったときにたまに出てくる言葉に「しんでしまいたい」がある。
どんなことが「死ぬ」ということなのかがわかっているとは思えない。

天国に行くこと=死ぬ だと思っている。
でもその天国って何?
そもそも彼女はお葬式とかに出たことがあるのか?ないのか?
ただのコトバとその環境だけで使ってるのかもしれない。
「死んでしまいたい」それはママが使っているのかもしれない。
あとは、同居している家族が彼女らを心配して、「○○が死んだらね・・」と話しているのかもしれない。

ただ、思うのはそれらを背負うには彼女の知的能力、生活能力、生活体験など、あまりにも幼い。

関わっていく大人の数が少ないほど、のしかかってくる不安は大きいんだろうな。

その不安を近くにいる大人に伝えても、それを解消してくれなかった経験がそれを倍増させていく。

どんな場面でどんな意味があって、その「死にたい」という気持ちを大人が彼女に伝えてしまったのかはわからない。ただのつぶやきなのかもしれないし、気持ちを共有してもらいたかったのかもしれない。

でも、それは未成年のしかも障がいを持つこどもにさせるものではない。
愚痴を言いたいなら、大人同士でやればいいことであり、実親同士で、どっちが好き?とか、どっちについていくなんてことを聞かれても、答えようがない。
自分の意思を伝えてもそれは叶わないことであれば、聞いたあとで、イライラするのは勘弁してもらいたい。大人の感情を八つ当たりされることほど、理不尽なことはない。

私の友人にこどもに「死にたい」という言葉を言い続けていたら、その長女が自殺をしてしまったということがあった。その直後、友人は「死にたいと自分が言っていたから、代わりに死んじゃったのかな?」と言葉にした。
その死にたい度合がどのくらいなのかはわからないけれども、その言葉を聞いていたとするこどもは、つらかっただろうとは想像する。

けれども、自分自身が自殺を選ぶにあたって、それが影響していたかどうかはわからない。ただ、そういう親を持つと、お利口さんでいることに努力をするから、自分自身が弱っていても、相談したり、愚痴を言ったりしないだろうと想像する。

人って、誰にも頼らないでは生きていけない。
こども時代にしっかり頼れる大人がいなかった場合、相談とか、愚痴とか、誰かに話すをいうツールを持っていれば、そうそう死んじゃうなんてことにはならない。
それがいざぎよくできちゃうということは・・・

覚悟と度胸があるのかもしれない。

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りえぞんみっちぃの大人世代の人生の創り方 
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