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歌は歌いたいことを歌ったら終わりでしょ③ AAA
YouTubeで「褒める犬の音楽」というきっしょい名前の弱小チャンネルで活動しております!
今日は3回に分けた記事の最後!
第一回のリンク📔
第二回のリンク📔
内容を簡単にまとめると
J-POPには、リスナーの勝手な固定概念があって
それを取っ払いたいねっていう旨の
私の尊敬する青木龍一郎さんの文 から
インスパイアされた私の3部に分けた記事です!
第一回だけでも重要なので是非見てください!
今回はAAAの「恋音と雨空」を紹介しつつ
言いたいことを言う!
そのまえに1つエピソードを
皆様学生時代
"音楽"の授業はあったと思いますが
私は音楽の授業で聞いた話で印象に残っていることが1つあります!
それは
昔の音楽は歌詞を区切らない
ということです
まず、ここで言う"昔"は恐らく
明治前後、よりも前!
授業のテーマは確か"荒城の月"(本当に曖昧な記憶...)
授業の内容で(多分...)
"昔"の音楽は歌詞を区切ると怒られた
(ここでいう"怒られた"は、言葉の響きが不自然、不細工になりおかしい。だから言葉を区切るのはダメみたいなニュアンスだと思う)
"歌詞を区切る"というのは
例えば
"あなたを愛している"と言うフレーズのメロディを
"あな--たを--あい--して--いる"のようにリズムをつけたりして割り振った歌い方をする という意味(と認識した)
この内容に「荒城の月」を当てはめて聞けば
荒城の月では例えば
"かげさして"というフレーズを"かげさ---して"と
切って歌っている
この表現が、昔的に尖っていたため
荒城の月は当時"怒られていた"という話
あるいは 私の認識や記憶が違っていて
荒城の月を 歌詞を区切っていない曲の例として出した
もしくは
荒城の月以外の曲 を 授業の内容に合わせて出していた
とにかく
私の曖昧な記憶はさておき
(ここでいう)昔の曲は、歌詞を区切ると怒られていた
というのはとにかく覚えていて印象的だったが
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ようやく本題ですがAAAの「恋音と雨空」
かなり歌詞を区切った曲なんです
私は初めて聞いた当時中学生でしたが
中学生なりにも「区切ってんなー」と思ってました
2番からなんてもうそれはそれは切ってます
この曲自体はとても素敵ですが
詩の区切り方に関しては
意識して聞くとかなり不自然だと思っていて
私はどちらかというとそれが
かなり気になってしまうタイプでした
(先程の音楽の授業でいうと"怒っている"側になりますね)
しかし
今回書かせていただいた3つの記事のうち
最初の記事📔←こちらから読んで
この内容を噛み砕いていくと
音楽なんて当然自由
詩が どのメロディに乗って歌われようが
それが不自然な言葉の響きだろうが
不自然に思っているのは"固定概念"で
リスナー(私)の勝手な感情というか好みなんですよね
そう言う意味で私は当時
何を歌うかよりどう歌われるかが1つの基準だったのかもしれません!
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かなり長くなりましたが
まとめると音楽は自由!
という簡単な答えで表現できます
しかし 聴いてて気持ちいい を優先する
というか遺伝子レベルで染み込んでる固定概念があるんす
読んでくれた人は
青木龍一郎さんが産んだHASAMI groupを聴いてくれ
本当は人に教えたくないんだよ
私も教えてもらった側だけど
「LADY」