5歳以上年下のクラスメートに囲まれてハッとすること
一昨日はコースで一番仲の良い子の誕生日パーティー(という名のレストラン・バー飲み歩き)だった。一昨日で彼女は25歳。もともと私のプログラムの平均年齢は27歳ぐらいで、大学を卒業してすぐにこのプログラムに入学した人もいることを考えると、自分と5歳以上離れている人もザラにいる。
皆とてもしっかりしていて大人なので、普段話していて年齢を意識することはあまりないのだけれども、25歳って!30を超えている私からしたら可能性しかない数字。
その子の誕生日にカードを準備していた時に、ここは偉そうに「今のうちにこんなことをした方が良いよ〜」と人生の先輩ヅラをしてみようかと一瞬思ったけれども、よくよく考えると、5歳以上も自分より若い人たちに囲まれるようになって、私が学んだり、はっとしたことの方が多かったことに気づいた。
一番大きいのは、いろんな出会いや体験にすぐ飛び込める身の軽さ。
その子からはハーフマラソンやらロッククライミング、突発的な旅行だったり何かと「行こうよ!」と誘われることがすごく多くて、「いや、さすがに…」と答えることも多かった。
けれどもクラスメートをみていて、自分がいつの間にかやりたいと思ったことを改めて挑戦することが少し億劫だったり、怖くなっていたことに気づいたりする。
そしてそんな中で暮らす中で、何歳になっても挑戦したり、やりたいことをやって思いっきり楽しむのは特権だし、自由だとも思えるようになった。
あと、「自分はこういう人間なんだ」って周りを気にせず言える強さ。
絵が好き。
占いが好き。
コアなことから「ちょっと好き」ぐらいの気持ちまで、好きなことは好きだし、自分はこういう人間なんだってはっきり言えること。
年を重ねる中で、自分よりも優秀だったり、デザインのセンスがあったり自分の好きなことで自分より詳しい人にたくさん会うと、「自分には何も特にないかもしれない」と無意識に思うようになっていた。
アメリカという環境だからというのもあるかもしれないけれども、自分のことをはっきり言えることって、ある意味、自分がいいと思っている部分で、自分よりも上がいることを身をもってわからないからこその強さなのかもしれない。それでも、どんなに自分よりも上手がいても、そんなに気にしないでいいのかもしれない、とちょっと心が楽になった。
最後は、周りの人を気遣える優しさ。
27〜28歳ぐらいからだろうか。
理不尽なこと、分かり合えない人にたくさん会うと、心が鈍くなっていって、周りの人に対しても、自分に対しても、ものすごくドライになったなと思うことが増えてきた。心の中で「この人とは距離を置こう」「この人にはこういう言い方で、これぐらいの頻度で返せば良いかな」と計算するようになる。
けれども、それより前は、もうちょっと人を信じる心のスペースがあった気がするし、自分より年下のクラスメートを見て私もそうだったなって思い出すことが増えた気がする。
ことあるごとに「大丈夫?」「何かあったら言ってほしいし、友達だから信じてほしい」とまっすぐ言われると、人にガードを張りやすい自分が見透かされているようでちょっとドキッとしたりする。
年齢を重ねることが決して悪いことだとも思っていない。
簡単に折れない心。
人の考えていることが読めるようになる洞察力。
予期せぬトラブルがあっても冷静に対応できる落ち着き。
限られた体力と時間を最大限にするために、計算することだって、悪いことじゃないはずだ。
だけれども、少し自分と年齢が離れている人と話すことで、改めてパワーももらえるし、今まで自分が組織の中で年下だったことの方が多いから、知らぬうちに鎧をかぶっていたなとか気付かされることも多くて新鮮だったりする。
バーで楽しく飲んでいて、しょうもないことでたくさん笑ってる中で、どうかこの子たちが私の年齢になっても、働いててどんなに心折れそうなことがあっても、そのまま素敵な人たちでいてほしいなと思った。