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閑話休題 人によって適正な距離感が違う

このnoteを読んでハッとした。
この記事の中にある、色々なものとの適正な距離感、そしてその距離感は人によって違うという表現、なんて優しいんだろう。

多分、私は自分の距離感というものががっちり合って、そこに合わないものはそもそも選択しない。ただ、それを人に強制しようとは思わない。

家事・育児・夫との関係・仕事
そういった日常での些細な距離感について、悩んでいる人は多い気がする。
だけどその時に、そこに他人の距離感が入っていることはないだろうか。

例えば、0歳で保育園に預けるなんてかわいそう、とか
3歳までは母親が育てた方が、とか

私の娘1号は4カ月、2号は6カ月から保育園に行っているけど、保育園万歳!である。先生たちが仕事として、きっちり娘たちの様子を見てくれ、月齢にあった、遊び、おもちゃ、おやつと食事、母親の私よりもよほどしっかり保育してくれる。
家庭の中だけだったら、絶対無理なレベルである。
しかも子供を産んでから気づいたが、私は子供と遊ぶのが全く楽しくない人間だった。私が仕事をしている時間に子供たちはきっちり遊んでもらえて、私は収入を得る。その距離感で私は十分満足している。

だからかな、私は上述したような3歳児神話に類することを人から言われたことはない。人は自分の距離感を良かれと思って口にするが、距離感が測れずに揺れている人は、その言葉に時として激しく揺さぶられてしまう。

もちろん、子供とゆっくり家で過ごすのが楽しくて、べったり一緒にいたいという距離感の人だっているでしょう。自分が心地よい距離感がどこにあるのか、意識して探して決める。そこに他人の意見はいらない。
ただその距離感を測れずに彷徨っている人には、私の距離感が参考になることもあるかもしれないと思って、noteを書いたりしている。

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