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フラメンコライブ1回目のエンサージョ撃沈…

※エンサージョ(フラメンコ用語)
舞台のために、ギターとカンテ(唄)付きで、細かい踊りの構成などを含めてリハーサルの前段階のような練習をすること。

一昨日は11月にソロで踊ることになっているファルーカのエンサージョだった。
正直、こんなに踊れないものかと自分のことながらがっくり。動画は見る暇ないから、音だけスマホに録音して、今朝保育園の送迎の時に車の中で聞いていたけど、あまりのコンパスのずれっぷりに嫌になって、昨日は3分で再生を止めた。今日もあまりの羞恥の耐えられない気分になり、5分が限界だった。
※ファルーカ
フラメンコの曲種の名前。男性向けの踊りとされ、直線的な振り付けが特徴的。ガリシア民謡が元になっており、短調で重厚感・悲壮感を感じる曲調である。
※コンパス
リズムの単位のこと。ファルーカは8拍で1コンパス。

あ、正確にはコンパスがずれているのではなく、コンパスは分かっているのだけれど、足が自分の思う通りに動いてくれず、リズムがずれていく…ってどっちにしろ合ってないことには変わりない。
ただコンパスが分かっていれば、途中から立て直すこともできるから、先生には「足の練習をもっとしてね。力まないでね」と言われた。
大体エンサージョでは「ちゃんと踊らなきゃ」と思うあまりに、ガチガチになってしまう。リズムの流れにのっていけない。今日再生を聞いた部分では、先生とギターの方で「まあ、足の練習をもうちょっとすれば大丈夫じゃない」というニュアンスの会話がされていて、課題を再認識。後はリズムへの理解が追いついてない細かい部分を修正されて、その場ですぐにはできないから、これも要練習。
先生がちょっと見本で踊って見せてくれて、先生の踊りはいつも「鮮やか」だなあと思う。フラメンコの踊りは本当に人それぞれでカラーがあるけど、私がいつも先生の踊りに感じるのは、ただひたすら「鮮やか」という言葉に集約される。
アレグリアスは華やかで可愛らしく、ソレアは重厚でせつなく、きちんと自分がこういう風に踊りたいっていうのを体で明瞭に表現してて、もちろん体がそういうように動かせる身体的な訓練を怠らず、ギターやカンテとコミュニケーションを取りながら一期一会の舞台を作る。フラメンコって生き方なんだって思わせてくれる。

私の今のフラメンコは「細く長く無理しない、石にかじりついてでもとにかく続けて、一歩ずつでも前進する」という泥臭い覚悟で取り組んでいる。
とにかく踊る機会がもらえるなら「やる」一択。前に引っ越しとか娘の小学校入学とかで「次の機会に」と言ったことはあるが、そういった外部的な理由以外は、とにかく取り組み続けることを自分に課している。

自主練習は1週間に1回1~2時間がいいところだが、私の場合は隙間時間に参考動画を見たり、レッスンの音源を聞いたりして、練習する時間への感度と密度を高めることで、練習時間の不足を補う。どちらかいうと頭で「こういう風に踊ろう」と考えて、そこから体へ踊りを落とし込むタイプなので、不器用な方だと思う。
次の自主練習では、とりあえず今回のエンサージョで見えた課題をある程度クリアできるように練習する。あとは次月のエンサージョを受けて、また次なる課題に取り組む。
そうやって本番が終わったら、自分で満足がいく出来で何となくちょっと前進した気分になるか、それとも失敗してどんぞこまで落ち込むかは分からないが、また何か一つ形でないものが自分に残るのだと思っている。


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