【ありがとうタイムズマート】武田店長インタビュー[その2]

※本記事初出:2020年2月

<注>本記事は『聖地らぼらとり』旧サイトからの移植記事です。以下の内容は、すべて2020年2月時点の情報に基づいています。


ーー店長のお仕事を拝見していると、企画、営業、仕入、陳列、レジ、宣伝と、どんな業務もお一人でこなしていらっしゃいます。これはすごいことで、一種のこだわりではないかと思うのですが。

店長:
タイムズマートはチェーンに加盟していないので、商品を仕入れる方法がありません。そうなると、一部の商品を除いて、現金問屋さんや周辺のスーパーに行って、自分で仕入れてこなければなりません。また何が一番違うのかと言えば、大手のコンビニさんは次々と新しい商品を開発し、プライベートブランドにして、お客さんのニーズに応え、お客さんのニーズを作り出している一方、ウチはそれができません。あるものを買ってくるしかないのです。その結果、お客さんの欲しいものがない状態になり、どんどんお客さんが離れていきます。ATMを設置すればすごくお金がかかってしまう、ずっと古い機械を使っているコピー機にしても、たとえ新しくしてもそれを回転させていくための売上もない、こういうお店の宿命ですね。ただ、今日のお店の様子を見てても分かると思いますが、ソフトクリームのお客様が多いと思いませんか?(笑) ということは、このソフトクリームは本当に需要があるということなのです。こんな時期(新谷注:取材当時は12月でした)にも関わらずです。だから私はここに目をつけて、他のお店にはない味のラインナップを揃えました。

ーーソフトクリームを売り出したのは、タイムズマートの本部がなくなったあとからですか?

店長:
そうです。なんとか個性を出さなければいけないと思って始めました。それにソフトクリームは他のお菓子よりも利益率も良いですしね。でもそれ以上に、独自の面白さを出したかったのです。移転後はさらに、現在取り扱っているフレーバーに加え、他のメーカーさんからも面白いフレーバーが出ているので、それも取り入れて、もっと大々的にソフトクリームを売り出していこうと考えています。

お仕事中の武田店長

店長:
あとは独自色という点で言えば、これは目には見えない商品ですけれども、「武田店長」という商品があります。たとえば、近くに住むおじいちゃんやおばあちゃんがお店にやって来て、「トイレが壊れちゃって…」とか「時計が動かなくなっちゃって…」なんて言うのです。私になんとかしてよ、というわけです。もう近隣のなんでも屋です。ここでお店を10年以上やってきて、周りからしてみれば、そういうことをしてくれる店長なんですよ。

ーー以前も近くのご家庭に配達に出かけていく姿をお見かけしました。普通のコンビニでは見かけない光景です。

店長:
そうですね。でも結局そういった行為は、ビジネスとして、お店を商いしていくこととは、イコールにならないのです。誰かのために良かれと思ってする行動とか、被災地支援とか、そういった活動をビジネスにつなげていく能力が私にはありません。私は商人の家に生まれて、これまでモノを売って生きてきました。ですので、サービス業とは言いますが、サービスを売っているという感覚や、サービスがお金になるという感覚が薄いのです。私もこれまで、サービスにお金を払うというお金の使い方を殆どしてきませんでした。床屋だって1000円カットに行くし、マッサージ屋にも行ったことがない。「貧すれば鈍する」なんでしょうね。だから私も反対に、そういうものでお金をもらうという感覚がないのです。

ーー店長はよく、「損得より善悪で物事を考えたい」と仰ってますが、タイムズマートの経営にあたってはまさにそれを体現されていると思います。

店長:
そうですね。結局はそのような考えでは商売はやっていけないのですが、でもそれは私の生き方なのです。少し話は逸れてしまいますが、学生時代の私は勉強が好きで、勉強が嫌いという人の気持ちが全く分からない人間でした。「なんで?」とも思いませんでした。しかしある時をきっかけに、大変な人の気持ちが分かるようになるきっかけとなる出来事があり、そこから突如として変わっていきました。

ーー「ある時」とはどのような時ですか?

店長:
小学生のとき、卒業制作として6年生全員で大きな絵を描くということがありました。みんなで作業をしていて、何色の絵の具かは忘れましたが、「○○色の絵の具持ってない?」と聞かれた際、私はずるくて、本当は持っていたのにも関わらず、「持ってない」と答えてしまいました。それからはその時のことなどすっかり忘れて普通に生活していましたが、やがて成人して、母校の何周年かの記念行事に呼ばれて十数年ぶりに小学校へ足を運ぶことがありました。その際に、体育館に飾られていた自分たちの卒業制作作品を見て、「すげぇ。でもこの絵の中に私の絵の具はないんだ」と思ってしまったのです。その時、6年生当時の記憶がボーンと蘇って、「ずるいことをしてはいけないな」と思いました。おそらく、あの時あのような返事をしてしまったのは、もったいないとか、「損得より善悪」の「損」の部分で物事を考えてしまったのでしょう。

インタビュー中の武田店長

店長:
あとは、人生をずっと長く過ごしていると、自分には考えられないことが次々と起きていたり、起きている人がいたりするじゃないですか。私は、小学生の時におたふくで一日休んだ以外で、学校を休んだことがありません。中学に入っても、親父と釣りに行くために一日ズル休みをしたりする以外は、一回も病気では休んだことがありませんでした。それは今でも続いていて、風邪をひいても辛いことがあっても、休まずになんとか頑張れる、それが普通だと思ってました。休む人には、「なんでそんなことで休むの?」とずっと思っていました。自分の価値基準が全てでしたから。しかし、耳の聞こえない人や目の見えない人など、色んな環境に置かれている人がいて、辛い人がいっぱいいるという現実を目の当たりにしていく中で、「損得よりも善悪」の考え方に傾倒していきました。

ーーそのようなご自身が今まで知らなかった痛みに直面するようになったのは、いつ頃からですか?

店長:
成人してからずっと思っていますが、東日本大震災は今まで自分がまったく経験したことのない出来事でしたね。ただその時に感じたのは、自分よりも大変な人がいるということよりも、そうした大変な人を支援をする人がいっぱいいたということですね。たとえば、飯能にある円泉寺は、賽銭箱を募金箱にして、住職さんが私の被災地支援活動の支援金として持ってきてくれました。また一方で、そうした支援の恩恵をとても受けている人も、思っている以上にいらっしゃることも分かりました。

ある時、被災地のある家を訪れたところ、ドアの向こうに支援物資が大量に置いてある光景を見て、果たして本当に大変な人々に物資が行き届いているのかな、と思いました。そこで私たちも一工夫をして、必要としている人々に支援が行き渡るように改善をしました。その点、海外のNPOなんかは、私のような個人による支援とは異なり、まるで映画のワンシーンのように、大型トラックで現地に乗り付け、後ろの荷台から金髪のお姉さんが現れて物資を置くだけ置いていき、あとは自分たちでやってねと言わんばかりに去っていきました。なるほどこういうやり方もあるのかと思いました。どちらのやり方が良いのだろうか、どこまで親身になるべきだろうか。そんなことを考えました。私の商売は、ここでもう一歩踏み込んで、親身になってやってしまうのです。たとえば、一人のおばあちゃんのお客さんに対して、こちらから買い物カゴを差し出すなどの配慮をした場合、後ろにいたお客さんから、「チッ、なんだよ」と思われることもあります。そうなってしまうと、そのお客さんはもう二度と来ません。ここがサービス業の本当に難しいところで、「損得よりも善悪」という考えで商売をやっていると、そういうこともあるのです。でも、私はこれからもこの自分のやり方を変えるつもりはありませんし、現状、アニメファンをはじめ、このやり方を理解してくれている人たちが残ってくれています。仕事に限らず、生き方や仲間というのは、そういうものなんだと思います。

ーー日頃の店長のそのような姿を見ている人が、いざ店長が大変なときに支援してくれるのだと思います。

店長:
ありがとうございます。それこそ、この募金箱(注1)を置いているのだって、台風は去年(新谷注:2018年を指します)の話で、既にガラスも直っているわけですから、普通に考えれば、「もう直っているじゃないか」と思う人もいるでしょうけれども、一方で、今でも気持ちでお金を入れていってくれる人もいるわけです。被災地支援の募金や東北のわかめ(注2)の販売にしてもそうですが、「善意はつながり必ず実を結ぶ」という考えで続けています。

(注1)もともとは、2018年の台風24号の被害によって割れてしまったガラスの修繕費を募るために設置された。

(注2)タイムズマートでは、東日本大震災の被災地となった、宮城県の南三陸産のワカメの販売が行われている。