デザインは「キレイに整えること」じゃないと思う
正確に言うと、キレイに整えること=いいデザインじゃないということ。
デザイン論を語るつもりはないですが、デザインって、すごく大きな目で見るべきだと常々思っています。
キレイに整えることは、デザインの「手法のひとつ」であって、キレイに整えることが即ち「いいデザイン」であるとは限りません。(と私は思っているのです)
具体的に言うと、例えばエステサロンのチラシをデザインするとして、当然多くのデザイナーは「女性ウケするキレイなデザイン」を目指すわけですが、実は「キレイな見た目のエステのチラシ」って、どこにでもあるので、その中で見る人の興味をひくのは至難の業なわけです。
極端な話、手書きで真心を込めてお客様の肌への思いを書いたモノクロ1色のチラシの方が効果が高かったりします。(実際にあった話です)
いいデザインは、「効果が出るデザイン」だと思っています。
逆に言うと、効果が出ないデザインはいくらおしゃれでもキレイでも「ダメなデザイン」であると思っています。
ここの考え方をわかりあえる人に出会った記憶がちょっとありません。みんなやっぱりおしゃれでキレイなものを作りたいですからね。ダサいと言われたくないんです。でもダサくても、そのデザインによって人が行動を起こしてくれたなら、それはいいデザインだと思います。
僕は一応アートディレクターという肩書で何年か仕事をしていますが、そこの思いを共有できない相手にこの感覚を伝えるのは非常に難儀します。おしゃれ至上主義のデザイナーとかは厄介です。
あと、おしゃれって少し見方を変えると中二病みたいな感覚になることがあります。私だけでしょうか?インスタとかでバキバキにバエバエの写真を上げてる人を見ると、中学校の頃背伸びをして英字プリントのシャツにケミカルウォッシュのデニムを履いていた自分を思い出すのです。
極端なことを書きすぎたかもしれませんので少し補足しておくと、おしゃれでキレイなデザインは多くの人に受け入れられやすいことは確かです。それによって好感や親しみやすさ、安心感、信頼感など様々なことを訴求できると思います。
ただ、それがすべてではないと思うのです。
とあるデザイナーが、街角に黄色い椅子をポンと置いたのだそうです。そうすると、そこに座る人が出始めた。これもひとつのデザインだと思います。目立つように黄色い色を塗った椅子を置くということで、人の行動が生まれたわけです。
そこにおしゃれとかキレイとかは一切関係ありません。椅子があるから座った。黄色い色が目立ったから椅子があることに気づいた。それだけなのです。
ちょっと話が飛びすぎたかもしれませんが、この話がわかってくれる人がいたらいいなと思います。
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