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PERCHの聖月曜日 81日目
野坂昭如さんが衆議院選に出たとき、運動員のひとりとして手伝ったことがありました。で、ある人に「デザイナーをやめて今度は選挙屋になったんですか」って言われたが、ぼく自身、野坂さんみたいにすごい体験はしていませんけど、ああいう生き方というのは人間的に非常に好きだし、世代もちょうどぼくも同級生のお兄さんの年代なので、共鳴する部分が多いんです。あの頃、『四畳半襖の下張』の裁判があって、ぼくは本質的に人間の感覚にまで国が線を引いてもらっては困ると思うし、もしぼくの作った椅子が猥褻だからといって線を引かれると、ものづくりにとってはたいへんしんどい。そんな部分でも非常に共鳴感をもちました。
また裁判所なんかで、裁判官がいちばん高いところから人を裁くというのもおかしいと思うんです。ぼくは人間が本当に人間を裁けるのかという疑問をもっていますが、ただ最低限それをやるとしたら、少なくとも裁判官は同じ平面上で話し合うべきだと思います。その意味で、裁判官の椅子が変わったら内容も変わるんじゃないか。赤いじゅうたんが違う色になっても変化が起きるんじゃないか、と思うんです。
いままで画一的に見てきたものが、ちょっと視点をずらすことで全く違うものに見えてくることがあります。そのためにも個にしておかないと、どうもまずいという気がするし、自分をできるだけ自由にして、精神的な意味も含めて、なるべくしがらみを少なくしておくことが必要じゃないかと思います。デザインをやりたいからといって、デザインだけ見ていても駄目なんです。
「「無重力」にあこがれる」、『キャリアガイダンス』第21巻第7号、1989年8月
ーーー『倉俣史朗のデザイン–––記憶のなかの小宇宙』展カタログ(朝日新聞),2023年,p175
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Author Edgar Allan Poe
Translator Stéphane Mallarmé
1875