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PERCHの聖月曜日 79日目

パリで始まった全国博覧会は、四九年を持って終わりをつげ、一八五一年、ロンドンにおける万国博覧会によってその新しい時代が始まる。

ロストウは産業革命を背景とする民族国家の形式過程を〈離脱〉とよんでいるが、彼によれば、離脱をもっとも早くなしとげ、次の成熟の段階へと入る転換を一八五〇年としている。だから多くのモダン・デザイン史が、その出発点においているのは正当である。この博覧会は、デザインに関係する、まったく異った印象を世人に対して強烈に投げかけたのである。それは水晶宮に見られる構造技術の輝かしい成果であり、もう一つは、工業生産品の劣悪さであった。

ガラスと鉄という近代工業の産物でつくられ、規格寸法で分解された部品によってすべて組立てられた水晶宮は、節度をもった秩序のなかに、夢のお伽話のような印象を人びとに与えた。一方、この展覧会に展示された工業生産品であって、その美的価値のいやらしさが心ある人びとの反省を強くうながしたからである。ウィリアム・モリスの〈アーツ・アンド・クラフト〉の運動は、この時期から精力的に行なわれる。

モダン・デザインの源流として上げられるのは、ふつうアーツ・アンド・クラフトとアール・ヌーヴォーと構造エンジニアリングの三つであり、その二つまでが、ロンドン博に関連づけられるわけだ。のこるアール・ヌーヴォーも、関連なしとはいえない。

アーツ・アンド・クラフトは、機械生産を否定したが、アール・ヌーヴォーは同じように主として美術工芸の運動だったが機械を否定せずに積極的に肯定し、植物に原型をもとめて鉄やガラスによる流動的、有機的な美を生みだしていた。水晶宮は、温室の設計を得意とした庭園家のパクストンによって設計されたもので、彼自身がアフリカからもち帰ってきた大きな蓮の葉に子供が乗ってもびくともしないことから、その葉脈を分析して水晶宮の構造に用いたのである。だから、アール・ヌーヴォーは、水晶宮とアーツ・アンド・クラフトを父母にしているともいえる。

これを逆にいうならば、今世紀に始まるモダン・デザインは、アール・ヌーヴォーから流れ出た、といえるのである。

ーーー川添登/高見堅志郎『近代建築とデザイン』社会思想社,1965年,p22-23

Joséphine-Éléonore-Marie-Pauline de Galard de Brassac de Béarn (1825–1860), Princesse de Broglie
Jean Auguste Dominique Ingres
1851–53

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